子育ては難しい(10) | 白帯以前素人による「なんちゃってテコン島」

白帯以前素人による「なんちゃってテコン島」

独習しているテコンドーや子育てその他感じた事等駄弁を色々書きます。

 「ウチの子供はなんて個性的なんだろう?」なんてグチっている親御さん

も世の中には少なくないはず。


 ウチも息子、娘とダブルパンチでやられている感じで中々落ち着けない。


 実は一番目の長男の子育てに夫婦そろって四苦八苦している時に、

ウチの親父から言われた言葉があるんですな。


 「一番目は手が掛かるけど、二番目は楽なもんだぞ」と。


 そん時は、早く二番目を産め、なんて言葉をよく周囲から掛けられていた時なんですがね、そういうご意見に対して、


 私は、「一番目でこんなに手が掛かるなら二番目なんて到底無理」と答えてたわけ。


 結局私の父母は二番目の顔を見ることもなく他界してしまったんですが、


 二番目が生まれてる時に、ぼんやりと親父の先の言葉が思い出されたのだけど、


 結局、その言葉は「見事に外れ」だった。


 よく考えてみれば、ウチの親父、典型的な「昔の親父」で子育てなんぞに参加した事もなかった筈。


 ま、そんな親父の言う事が外れたとしても、さもありなんと諦めるしかない。


 二番目が楽というのは、要するに親の経験値が上がっているから一番目程大変と感じないという一般論がベースなのだろう。


 しかし、視点を子供の方に移せば、やはり個性や性質の問題が出てくる。


 やはり、子育ては一様にはいかん、と言う事が理解されるわけだ。


 誤解を恐れないで「デキ」という言葉を用いれば、


 ウチの二番目の娘、長男より確かに「デキ」がいい。


 言葉は少々遅かったが、理解力や絵を書いたり、自分から進んで勉強したり、お手伝いしたり、と電車以外に興味のなかった長男に比べると格段に違う。


 兎に角真似が好き。TVを見ても、大人の何を見てもすぐに真似をしたがるし、何でも自分でやろうとする姿勢がある。


 ところがどっこい、「手が掛かるか、掛からないか」で言えば、


 デキのいい娘の方が数段長男より手が掛かるから、


「人生はいつも何だかもう……!」である。


 つまり長男は「自らという積極性」がない代わりに、「素直さ」があり、

長女の方は、「自らの積極性」がある代わりに、「素直」じゃないのだ。


 幼稚園の年長辺りから、できるできないは別として親の言う事を聞いてスムーズに生活できたのが長男。


 娘の方は、何でも「自分スタイル」でやるものだから、当然子供がよくできる筈もなく、何でも「二度手間」になるのだ。


 では、外でも同じか、と言えば、またまた「ひっくりかえる」からややこしい。


 結構学校でも幼稚園でも時に場が読めず「自分を主張した」のは息子。

運動会やらなんやらのイベントでいつも親は「ハラハラドキドキ」だった。


 娘の方は、「家では個性全開」なのに幼稚園でも学校でも一見すると、

集団に埋没しているように「静か」なのだ。


 娘は単に内弁慶なのかな、と思ってもみたりしたが、そう単純でもないよう。


 どうやら娘の中で、「自分の個性を全開させる場」とそうでない場を分けているようなのだ。


 娘の中で、その境界に明確な線引きがあるのかないのか、わからない。傍から見ても「区分けの法則」みたいなものがあるのかないのかわからない。


 ただなんとなく、「大人を見て判断」している気はする。


 親の立場から見れば、どこへ行っても、出しても、「普通」と判断されるのが一番安心である。そりゃ「優秀」と言われることにこした事はないが、それはまた別の話。


 大局的に社会を俯瞰すれば、日本という社会が人間の個性を大切にする社会かどうかは議論のあるところ。


 しかし、日本に生きている以上、これまた大局的な意味で日本の社会に適応しなければ生きていけないのも現状なのだ。


 娘はまだ小学校の低学年だが、


 学校の先生からは、「勉強は優秀だし、他に問題なし」と言われ、

 ピアノの先生からは、「個性的だけど、素晴らしい」と言われ、

テコンドーの指導者からは、「まるで駄目」と言われ、結局辞める事になった。


 ここでテコンドーの指導者を批判する事はあまりに容易だ。


 彼のやっている事は傍目から見て「なってない」から。


 だが、彼みたいな指導者がこの社会に多いか少ないかと問えば、私的な経験から言えば、残念ながら「多い方」と答えるしかない。


 自分の子供が「どこへ行っても普通扱い」という枠から一歩でも外れる場合、親はどうすべきか。


 特にその「断を下した」モノに、「正当性」が見られない場合はどうするか、


 やはり親が子供を守るしか、ないんだろうな、と思う。


 で、また「手が掛かる」わけだ。


 子育ては大変だ。


 本当に嫌なっちゃう、時もある、


 という今日は、「愚痴のお話」でした。

 

 では、また。