先週の金曜日は、ランニングをメニューから外して、土、日は練習をオフ。それでも、身体の痛みが緩和しない。特に左足の付け根の痛みが歩いたり立ったりにえらく難儀だ。明らかにストレッチで無理な力が加わったのが原因だ。テコンドーの練習で痛みがやわらいだかと思っていた首の痛みも元に戻ってきた感じでストレスが増強している。
アラ50&デブの「洗礼」は今日も継続中だ……(涙)。
さて、前回の続き。息子のサッカートレーニングである。
実際一緒に練習してみると、飲み込みは早くはないが、教えた事はそこそこやるんだな。サッカークラブでは終りにPK練習をやり、息子はそこでも全然ダメで周りの子からバカにされていたんだが、庭でのPK練習をやったら、すぐにそこそこ上達をしたし。コーンを使ったドリブル練習も、キックポイント別のパスとかもまあまあの出来。
なんか大丈夫そうだが、と思って、またクラブの練習や試合を見たりすると、またまたそこではダメなのだ。勿論周囲の子供と比べての事。
そこでまた練習である。サッカーだけでなく、運動能力を上げる為にキャッチボール、トスバッティグ、サイクリング、ウォーキングの遠出等……時間を見つけて兎に角親子で身体を動かした。
一か月も続けると確かに息子の運動能力は上がってきた。
そこで、また練習と試合である。今度こそは、と意気込んて期待して見れば……やっぱり練習では周囲と「差」があるし、試合では、「上手い子」のチームには入れず、「下手な子」のチーム戦では結構やる程度。
「んんん……何だろうなあ」とここでまた考えてしまう。
特に小学校へ上がってからは、そのサッカークラブが学区外で、息子と同じ小学校の子は一人もいないし、また勉強その他を考えると、「こんなできないサッカー」を続けていていいものか、と悩んでしまった。
こんな書き方をしていると、「巨人の星(古くて失礼)」の星一徹ばりにスパルタ教育パパ化し、成果の上がらない息子に悩んでいるように見えるかもしれないが、実際は「十分に考えて」やっているつもりだった。
それは、私自身が「スパルタ教育の馬鹿らしさ」が十分に骨身に沁みている人間だからだ(いわゆるスパルタ教育の事はまた別項でいつか書くつもり)。
無理にさせていた事はない。というのは、
「イヤならいつでも止めていいんだよ」という言葉をいつも息子に言っていたが、言葉の意味と反対の脅迫で使っていた事はないし、そんな誤解がないように十分説明しながら使ってきたからだ。
でも、「やるからには少しだけ一生懸命やろう」とだけは付け加えてきた。
それでも、親のプレッシャーを見えない形で感じているのかと思い、何度か息子に確認を取ったりした結果、
息子の言い分としては、
①親父と遊ぶのはいいが、それよりやはりゲームが好き。
②サッカークラブは面白くない。
③大体、サッカーはあまり好きじゃない。
という事だった。
やはり「最後まで意欲の問題」だったか、と年中から始めたサッカークラブを小1まで続けてこれである。
大体が親のプレッシャーなどちびの頃から感じるタイプじゃなかった我が息子。常にゴーイングマイウエイな息子を見て、たまに「超無視」をされてムカつきながらも、「親の顔色窺うよりもこれでいい」なんて言っていた私。
しかし、現実の生活では時として理想から外れるにも人間の常。
平然と自分の気持ちを語る息子に、つい、こっちが一生懸命やってんだから、「少しぐらい意欲出せよ」と言いたくもなったが、結局は息子の弁を受け入れるしかなかった。受け入れつつも未練がましいやり取りが少々続いた。
「周りの友達がサッカー上手くて、自分が下手でも何とも思わないのか?」
「ぜんぜん」
「本当にこのま辞めてもいいのか?」
「うん!」
「辞めるって言ったら、コーチが寂しがっていたぞ」
「いいよ、別に」
こうして息子は小1でサッカークラブを辞めた。クラブで息子を疎んじていた子供達はともかく、コーチはいい人だったので、親としては、今までの個人的努力もさることながら、「人情的に」辞めるのは忍びなかったのが事実。でも、しょうがない。努力した後は、あくまで子供の気持ちが最優先という原則は外せないのだ。きっぱりサッカークラブからオサラバするしかなかった。
息子は現在中学生。サッカークラブを辞めた事は一度も後悔した事なく、やる事はおろか、観ることでさえ、例え「皆が騒ぐ」国家代表試合であっても、サッカーに興味を示した事もない。
今は部活のある球技に夢中である(本人同定回避のため具体名は割愛失礼)。テコンドーに関しては、「まあ、続けるよ」との事。
サッカーの苦い過去から、「いい加減にやるなら分かってんだろうな」と言えば、「うん、それは大丈夫」という。
ちなみにサッカークラブで息子を疎んじた子供たち。当時は皆サッカーが上手くて、親もそれなりに熱かったが、今は皆とっくにサッカーを止めたらしい。
彼らと息子は小学校では学区違いだったが、中学校では一緒になったので、再会し話を聞けたという。
あの頃の雰囲気を知っている私は何だか意外な感じがした。
「あんなに親子共々一所懸命だったのに?」
あのサッカークラブは、小クラブ同士の横の連結も大きなものだったが、縦の連結も最上位に地元のプロチームがあって、子供達が上手くなればなるほど、「上にいける」システムだった(現在もそうであろう)。
当時息子より格段に上手かった彼らが、やればやるほど、上に行くほどに「挫折」してサッカーを止めた事は容易に想像して理解できるが、そんなスポーツの世界の競争の激しさという視点とは違った観点から思う事もある。
「あの時に息子を疎外し、出来ることで悦になっていた彼ら」と我が息子との「縁」はなんだったんだろうと……。
同じ幼稚園だった彼らと息子。もし、サッカークラブで一緒じゃなかったらいい友人になれたかもしれない、とも思ったり……。
息子に、彼らと中学で話をするかと聞けば、
「別に。 部活も違うし、クラスも違うから関係ないよ。会えば、やあ、と言うぐらい」との事。
そんな話を聞いて、こっちは「ふーん」と言うしかない。
つまり、この「ふーん」が私と息子の「親子サッカー」の結論というわけで……それはもう……なんと言えばいいのか……何だかもう、である。
また長くなりました。では、また次回。