【異論】当人発のソーシャルメディアに異論 | PRアイディア直売所 ~作って売るから安い~

【異論】当人発のソーシャルメディアに異論

■真実か?HP発のコメント談話(1/2)
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今年の4月に刊行された本「スポーツは誰のためのものか」(杉山茂著、慶應義塾大学出版会)に鋭い指摘の記述があった。著者の杉山さんは元NHKスポーツ報道センター長で、この本は半世紀以上にもわたりスポーツ報道現場にたちつづけた視点からの「これからの日本スポーツ論」。
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1106030226/subno/1
                                    
鋭い指摘の記述とは、「競技者たちのホームページによる『当人発の情報』はしばしばメディアの取材による談話より真実に近いとされる」「第三者を介さない発信だから正しいと言い切れるだろうか」という一節。

今は引退したけれど当時人気絶頂期にあったサッカー選手Nの言動をさしていると思われますが、このN選手は私もよく知っているPR同業者のS社がアドバイスしたもの。

この一件以来、スポーツ選手はもちろんのこと芸能人でも何かあるとマスコミ取材の前に自身のホームページで談話を発表するやり方が主流となった。その さきがけとなった功績?はあったとしても、実は私も著者・杉山茂さんと同じ意見をもつ一人であります。

なぜなら、ホームページ(HP)に記載された内容が選手が本当のことを言うとは限らないし、スポーツメディアというよりメデイア自身の取材のあり方、もっといえば存在価値にもかかわる重大な問題ととらえています。

このN選手の頃はTwitterが出始めただったが、今はホームページよりもTwitterで第一報が「本人談」として報道される。果たして本当にこのやり方でいいのだろうか。

私は第三者のジャーナリストが本人を直撃するリアル取材こそが「談話」だと思っています。ホームページやTitterに載っている内容をそのまま転載して報道するようではジャーナリストとはいえない。報道の根源的な姿勢そもそもが間違っているのではないかと。

たぶん発表側はメディア締め切りの時間帯をにらみながら、本人にリアル取材ができないような深夜にHPアップする用意周到な戦術を採っているのでしょうけれども、1回くらいは勝利?したとしても毎回やられるとメディア自身も「してやられた」という想いが募るでしょうから、次第に遠ざかって信頼関係を失っていくと思います。

■ソーシャルメディアに異論(2/2)
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PR広報という仕事は世間から褒めてもらう仕事です。昨今「褒め方の極意」が流行っていますけれども、あの「褒め方」とも違います。PRというのは褒める内容が「事実」を前提としていなければいけません。言葉だけの浮ついたおべんちゃらを使う褒め方ではないのです。              
   
広告とも完全に違います。広告は自分で自分を褒める。しかもお金を出して。我々のやっているPRは歴史的な伝統ある既存メディア(全国紙)から褒められるという点で根本的に違います。

ソーシャルメディアでお互いを褒め合うのともちよっと次元が違うのでは。私自身、ソーシャルメディアをよく思っておりません。あれは単なる井戸端会議のようなもの。そのうち大きな刑事事件でも発生したらわかると思います。ソーシャルメディアの暗部、正体が白日の下にさらされるでしょう。    
                                    
Twitterなんてフォロワーといっているけれど、私は形を変えた「電子ねずみ講」システムだと思っている。拡散という行為を宣伝に履き違えて使っている人も多い。使えるものは何でも宣伝しちゃおうという精神ね。

もちろんTwitterが世紀の大事件、事故の第一報の役割を演じたという「功」の部分は知っていますよ。自分がメディア発信人となり、発言できるようになっていろいろな人と繋がって共有できるようになった「光」の部分も。
 
一部の上質のコミュニティは存在しているけれど、大半は意味不明のことを「小鳥のさえずり」のように言い合っているだけ。有名人でもないのに自分のサイトに「オフィシャル」名を記載する人。はてはウィキペディアに自分を書き込む神経の持ち主。そんな時代ですから私など「ランチなう」という人とはとうてい付き合っていけません。これ、私のソーシャルメディア観。

Twitterでは「つぶやき」といっていますが、最初は「さえずり」の訳語でしたね。だからロゴも小鳥デザインに。暇人の「さえずり」以外の何者でもないとすら思うようになっています。実際、相当、時間をとられますよね。

「出版大崩壊 電子書籍の罠」の著者、山田順さんなどは、「ソーシャルメディア革命なんて幻想!? ツイッターは一般ピープルの“カモ”ツール!」とさえ言い放っています。 ▽
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1106017885/subno/1  

山田さんは元光文社の書籍担当編集長を歴任し、退社後は電子書籍事業に自ら
チャレンジして失敗、その実体験から「電子書籍を懐疑的にみるようになった」人です。

他にも、PJニュース編集長、小田光康氏はコラムで「ツイッターにはまるのはバカで暇人」
http://www.pjnews.net/news/56/20100716_2  や、中川淳一郎さんも著書「ウェブはバカと暇人のもの」と切り捨てています。
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1102680308/subno/1

私もこれら3人の方とまったく同じ意見です。当方の基本認識はどちらかというと、ソーシャルメディア(ブログ、メルマガ、ツイッター、フェイスブックなど)よりも、ジャーナリストとして基礎訓練を経た伝統的な既存メデイア(日刊紙)を世論の中核としてとらえる人。

現在、ソーシャルメディアが報じているニュースの95%以上が、日刊紙と通信社の報道記事を転載しているのをみればお分かりのことと思います。そもそもソーシャルメデイアなどに報道専門の記者などいないのです。

私はソーシャルメデイアを個人メディアとしては認めますが、ニュース価値の高い報道メディアとしてはどこまでいっても認めない人です。それは書いている人たちがジャーナリストとしての訓練をしてきた人でないからです。ソーシャルメディアの執筆者には報道実務経験のない人が多い。

私がどうしてこんなことをいうかといいますと、ソーシャル・メディア専門のPR会社が実際にあるんですね。プレスリリースをソーシャル・メディアに掲載するのが仕事。この会社では既存メデイアは扱わない方針。

依頼主の方は、既存メデイア(大新聞)記事、ネット記事(ポタールサイトのニュース記事)、それにTwitterやFacebookに代表されるソーシャルメディア記事、これら3つの記事をみんな同じだと思っているのでは。

結局、ソーシャル・メディアに掲載されれば「既存メディアの報道記事と一緒じゃん」と思われているふしがあります。見た目には同じようにみえても全部違います。メディア自身のクオリテイが違いますので、同じではありません。

私は人(世間)から褒められることをPRというのだと思っています。人は死ぬまで褒められるために生きていると。だからPR広報の仕事はとてもやりがいがあります。あの米国大統領リンカーンですらも、自分のことをよく書いてくれた新聞記事を肌身離さずもっていたそうです。▽
http://ameblo.jp/pridea/entry-10470298088.html

ソーシャルメディアに異論を唱える私ですが、その種の本がないものか、新宿の老舗本屋「紀伊国屋」に行って聞いてみました。なかったですね。いまのところ「ソーシャルメデイアとは何か」とか「ソーシャルメデイアとの付き合い方」という本だけが出回っており、「ソーシャルメデイア=罪」の側にたった本は1冊もありませんでした。この事実だけをみると私は異端児のようです。


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◎この原稿を読んだ「出版大崩壊 電子書籍の罠」の著者、山田順さんから感想メールが届きました。いつもそうですが、どこまでも謙虚なお人柄に好感がもてます。


蓮香さま、

読ませていただきました。まったく同感です。また、私のような者を紹介していただいて、ありがとうございます。蓮香さんがおしゃるように、ソーシャルメディアの影の部分に関して書かれた本はいまのところ日本にはありません。それで、いまDIMEの連載を元にして、その方向で1冊書く準備に入っています。先日も小学館の編集者と、この件を打ちわせしてきました。ただ、筆が遅いので、早くて来年の2月ごろ、小学館より出す予定になっています。よろしく、お願いいたします。