【自論】広報でなく創報であるべき
ジャーナリスは知り得たネタを捏造して報道記事にすることは許されませんが、PR広報は素材を創作しておもしろい話題に創作・加工すれば報道されます。
どちらにも共通することは「(素材が)事実に基づいている」ことで、「虚偽」は断じて許されない。私のいう「おもしろい話題」とは「ユーモア」とも言い替えることができます。
だからPR広報はとても楽しい。一般に「広報」などというけれど、私はあえて「創報」といいたい。「広報」は「広く伝えること」なのですが、ただ単に知らせるだけでは私は広報と認めません。知らせる内容が「新しく」「独創的」な要素がないと本当の意味で「広報」とはいわないのです。
ところがどうでしょう。世間一般でされている広報活動はほとんど「(意図的に)情報を創る」ことをしていません。
企画部(課)という部署がある企業の場合、プランニングなどの創る作業は「すべて企画部だよ。広報は我々か作ったものを知らせるだけでいいんだよ」という論理を担ってしまいます。私にいわせれば「企画部」なんて部署は不要。それは最終的には広報と直結してしまうので、むしろプランニングという仕事は広報の仕事そのものだといいたい。
逆にいうと、「企画能力」のない人が広報部で仕事をしてもらってもほとんど役に立たない。現実はこういう人が多いのではないか。つまり、企画部を中心とする会社の中枢機能を担うスタッフが決めた事柄をマスコミなど社外に発表していい案件のみを広報が引き継ぐ、という考え方が。これは大いに間違いである。
広報は経営そのものであって、当然のことながらその企画力は広報力と不可分密接な関係にある。企画力のある人が広報を担当すべきである、というのはまったく正しい。これがかい離している会社や部門が多いのではないか。
予算についてもいえる。いわゆる広報部門には予算がほとんど投じられない。予算は営業やそれにまつわる企画部などにはドスントと与えられる。これも大いに間違いである。ものを考える人々に予算が与えられないのはどう考えてもおかしい。
昔、お茶漬けの永谷園という会社が新製品開発をするために、部署名はわすれたが、担当者を一人すえ、食に関することで気になるところがどこでも出張してよいという通称「ブラブラ社員」という制度があり、ずいぶんと話題になったものだ。
つまり、このブラブラ社員は全国どこへでも食べ歩きもでき、人や施設・店舗などへも自分の意思で行くことができる、まさに「会社にはおらず、全国どこでも行ってブラブラしてもよろしい」という部署であり、仕事なのだ。
当然のことながら、翌日には「どこで何をしてどれくらいのお金を使ったか、何のために。結果、新製品の開発ヒントにどのように役立てたか」をリポート提出しなければならない。リポートさえ提出すればグルメ漫遊という夢のような旅が
できる。
これなど企画部と広報部が一体になった「歩く広報部」ともいえよう。こういう発想するからおもしろい商品を次々と送り出すことができる。広報素材は自らの意思で創り出せなければならせないのだ。そういう意味で「創報」。
さあ、みなさんの会社でも「創報部」を立ち上げてみませんか。私が軌道に乗るまで指導しますよ。