【意味】中華思想の意味 | PRアイディア直売所 ~作って売るから安い~

【意味】中華思想の意味


PRアイディア直売所 ~作って売るから安い~-中華思想の概念図 PRアイディア直売所 ~作って売るから安い~-中国人の正体


昨年から目に余る中国の反日行動。日本人からみた恐怖の国としか思えない。いったい何がそうさせてるのか。そのルーツは「中華思想」にあった。


なんと中華とは自分たちの国が「世界の中心」にあり、それ以外の国は「未開発の国」で「野蛮な国」というのだ。中華の「華」は文明の意味。つまり、中国、中華は「文明の中心にある国」にあるんだと。そして、日本などの地域は中国からみたら「東夷(とうい)」という地域にあり、「野蛮な国」なんだとも。


この屁理屈を知って、チャンチャラおかしく笑い転げてしまった。私にいわせればちょうど同じ言葉を中国に浴び返したい。野蛮な国は中国の方ではないかと。


それは国の指導者を決めるのに「選挙」がないことが象徴的だ。共産党という一党独裁の国が「なぜ文明国なんだと」といいたいね。民主主義の根本は主権在民、すべては選挙から始まるんだよ。まあ、そういう考え方をしているのだから、何万回話し合いなどしても良好な関係など築けない。悲しいけれど、仮面夫婦のごとく偽りの隣国関係でいくしかない。


中国では日本語の「素直」にあたる言葉がなく、自分達のいっていることがすべて正しく、絶対に非を認めることなどしない民族なんだという。本当に困ったもんだ。歴史と文化は素晴らしいのに。



○中華(ちゅうか)の語源について


中華思想において「世界の中心」を意味する語。「中国」と同義。「中華」と「中華思想」を区別する例も多いが、本来は「中華」という言葉自体が「思想」を意味する。中華を世界の中心とする解釈は、非中華(非文明=他文明)地域を方角によって南蛮(なんばん)・東夷(とおい・とうい)・北狄(ほくてき)・西戎(せいじゅう)と呼び区別または差別したことにはじまる。
中華を主張する地域において中華は「文明圏」を意味する。


「中華」とは自分達を華(文明)の中にあるとする選民的な価値観であり、華の外世界を野蛮や未開を意味する「夷狄」「化外」「戎狄」「蛮夷」などの蔑称で呼び、歴史的に区別または否定してきた。したがって中華と非中華の間には対等な外交は成立せず、19世紀のある時期まで朝貢関係としてのみの関係が結ばれた。

また中華は漢民族文明として一般的に認識されているが、近年の研究(謝小東(シエ・シャオドン)副教授の遺伝子調査など)によって、漢民族の定義自体が名目上(中国的正統主義による考え)であった可能性も出てきている。

もともとは古い歴史の中で、中国を世界の中心、天下の中心として自分たちを指して呼んでいた名称が中華です。元来中国に広く分布していた民族の文化がその中心にあるという。


彼らは周囲の民族との混血が進んだといわれますが、のちに現在の主たる民族の基盤となっていく。これは後に漢族と呼ばれる民族を構成していきます。便宜上当時のそれも漢民族と呼びますが、その漢民族の思想や文化が最も価値のあるものとして、中華思想の中心に存在していた。


中国の史上、他民族である元(蒙古)や清(満州族)による支配があったのも事実で、それらの時代は漢族の文化や慣習を完全には破壊せずに統治した。


これに対し、漢民族が支配していた時代は、それまでの過去の支配を否定し文献も破壊したりして、歴史を塗り替えていた時代とも。同じ漢の流れの上にある秦時代、漢朝、明朝では、どの時代でも万里の長城が築かれが、この三代は単に壁を延長しただけではなく、自分たち独自の長城を内側に築いています(つまり長城は現在もある部分は三重の壁になっている)。


ある意味、前の時代を否定し、あるいは自分たちが前の時代を凌いでいることを、表そうとしていたのかもしれない。いずれにせよ漢民族(中国では漢族といわれます)の時代は、いつも自分たちが中心であり、他を否定し攻撃し、強くあらねば(見せなければ)ならないという、国民性があると感じる(これは現代の中国も同じ)。


しかし現在は中華という言葉は、漢民族以外の少数民族にも適用されたりしますし、漢族ではない人自身も自分はChineseだと言ったり中華という表記を使うこともあります。これは国名に中華があるからだけではない。この裏には100年前の清朝が崩壊したあとの、中国国内の事情が関係している。


満州族の清朝が崩壊した時代、漢族の国を再興するときが来た、と革命家たちは思ってい。後に辛亥革命が起こりますが、革命前は中国国内はいろんな思惑の人や利権で混乱し、武器や銃を構えた人が跋扈したり対立し、身の危険を感じる革命家たちが多くは、当時すでに強豪の仲間入りをしていた日本に亡命したり、日本の軍事学校にはいって訓練を受けたりして準備をした。


日本人の中にも、革命を手助けする一般人やジャーナリスト、財界人がいました。中国国内には内外に力を持つ国や人のいろんな思惑が入り乱れていた。


このとき時代はすでに帝国主義の時代であり、また海外の新聞やジャーナリズムが全世界を結んでいた時代となっていた。武器等も海外から銃などが流入しやすく、外国の干渉も起こりやすい時代で、民族蜂起がおこりどこかの強国がうしろにつけば、中国の分裂が起きる可能性を捨てきれない。


もし、漢の時代や明の時代のように、物流も情報の伝達もとてもスローであれば、自分たちのペースだけで国を作れただが、辛亥革命の1911年当時は、それはもう無理だった。


つまり漢民族のための「漢の国」を作った場合、北の他民族や(満州の背後には日本がいた)、西のチベット(中国と分離を望んでいた)や、すでに英国に抑えられていた南の香港など広東の一部は、民族が違うという大儀名聞を外国強豪が前面に出して、中国から分離されてしまうかもしれない。


それを避けるために、中国の土の上にいるものはどの民族であろうと「中華」民族なのである、という中華の概念を引っ張り出した。


このため革命の翌年、アジア最初の共和制国家として「中華民国」が1912年に建設。世界大戦後、蒋介石率いる国民党は毛沢東に敗れ台湾に逃げ落ち、中華民国も事実上台湾に移ります。毛沢東は1949年、同じく中華の概念を国名に冠し、中華人民共和国をつくった。


この国名には、過去のどの中華人の地域も中国のものであり、台湾さえも中国の一部であるという意味がこめられている。


東夷(とうい)とは、夷とは、元々、東方のえびす(未開人、野蛮人)の意味で、
中華から見ての東夷は、満州・朝鮮・日本などの民族を指していたという。



発想とアイディアを独自の視点から研究している【伝説のPR職人】ハスカです。私の一貫したスタンスは「あらゆるビジネスの根本は発想・アイデイアにある」。マスコミと読者を「ハッ」とさせ、「ソウ」だったのかとうならせる、「わがハッソウ(発想)術は永久に不滅です」。また、ハスカ式PRをひと言でいうなら「創作PR」の世界といっていいでしょう。古典PRというものがあるかどうか知りませんが、私のは既存手法とはまったく違う独自開発したユニークな独創的PRといえます。