【発想】創作広報
落語には「古典落語」と「創作落語」があることが知られているが、わがPR広報業界はそういう棲み分けはない。
「古典広報」すらないのだから、「創作広報」なんてあるわけがない。それを私は自分のPR手法を「創作広報」だと勝手に決め付けている。
PR広報の達人だといっても、しょせんは先人が体系づけてきた過去の遺産をコピーしているだけにすぎない。
人間、どの分野でもいいが、最終的には過去の技術や遺産から脱皮して新境地を拓かなけければ進歩がない、と思っているのは私だけか。
古典といえば何か連続性、歴史性、文化性など独特の匂いがあるかもしれないが、単にジョブやルーティンの繰り返をやっているだけで、それを達人といわれても全く意味がない。
古きを訪ね新しきを知る「温故知新」ではないが、PR広報の世界も「旧きを尋ねて新しい世界」にまでたどり着かないとねえ。
絵画・美術でたとえるなら「写実」が一番いけない。対象を見たままの色と形を描くのは入口の世界だ。見たままをいったん壊し、「美の世界に再構築する」出口の世界を表現するのが芸術というもの。PR広報の美の世界も似ている。
PR広報の世界も学んだ既存ハウツウをそのまま活用・披露するだけで十分通用するのかもしれないが、私はそれだけでは満足しない。
一方でPR広報の世界は「これしかない。これが大正解」というものが存在しない。それはアイデアによっていろいろ発想や企画が変わってくるからだ。
だから私が「創作広報の達人」と自負しても、それは「ハスカ式」でしかない。でも私はこの2年間、ランチコンサルは2000件近くを手がけてきた実績がある。
どんな難題がきてもズバッと回答できる。ハスカ式「創作広報」のキモは「社会的視点」で立案することだ。
それは、一企業や一商品という「個」の世界を離れ、社会や時代という[全」の視点、言い替えると俯瞰的にものごとをとらえること。ジャーナリステイックな視点とも置き換えてももいい。