【人】電子書籍の父
発想とアイディアを独自の視点から研究している【伝説のPR職人】のハスカです。
私の一貫したスタンスは「あらゆるビジネスの根本は発想・アイデイアにある」。
リクルート発行のメルマガ「キーマンズネット」(2011/9/30)に掲載された「インターネットの20年前に提供?!電子書籍の父 ~マイケル・S・ハート氏」と題するコラムを全文転載しました。(本当は会員向けなんだけどね、いい内容はシェアし合おう)
専用端末やサービスがいくつも登場しているだけでなく、このところのスマートフォンやタブレット端末の台頭によって普及に拍車がかかっている「電子書籍」。そんな電子書籍の提供というのはいつぐらいから始まっているかご存じだろうか?ソニーが1990年に提供した「データディスクマン」が電子書籍リーダの始祖といわれているが、実はそれより遙か以前に、コンピュータネットワークを利用した電子書籍プロジェクトが開始されている。
世界で初めての電子書籍プロジェクトはなんと1971年にスタートしている。その名も「Project Gutenberg(プロジェクト・グーテンベルク)」。そんなプロジェクト・グーテンベルクを主宰したのが、今回紹介するキーマン、マイケル・S・ハート氏(以下敬称略)である。
マイケル・S・ハートは1947年、アメリカ・ワシントン州にて誕生した。彼が11歳の時、両親2人がイリノイ大学本校(アーバナ・シャンペーン校)にて教授として就任。その恩恵にあずかる形で、ハイスクールに入学する前から大学の講義に入り浸っていたというのだからその優秀さがしれる。そのままイリノイ大学本校に入学したハートは1971年、同大学の計算機センタからコンピュータの使用アカウントを得た。当時のコンピュータはタイムシェアリングで使用されていたため、非常にシビアに管理されていて1人当たりのコンピュータ使用時間はかぎられていた。それにも関わらず、彼に与えられたアカウントはほぼ時間無制限に使用できる、いわば「特別版」だった。これは管理者と懇意だったための特別措置だったとされている。
ハートは、この特別アカウントを無為にしなかった。何かお礼のようなものができないかと考えたのだ。ある時、彼のカバンには「アメリカ独立宣言」の冊子が入っていた。この文面を何気なくコンピュータに入力していた彼は、その電子データをコンピュータのユーザ同士で共有できないかと考えたのだ。これこそが「プロジェクト・グーテンベルク」の始まりである。ハートは独立宣言の入力後に、聖書、シェイクスピアの著作、そして「不思議の国のアリス」を手入力して、ユーザがコンピュータ上で読めるようにした。ただし、当時の環境では各ユーザへのデータ配布は難しかったため、各ユーザが共通の電子書籍データにアクセスする形式だった。ユーザはわずか100人程度だったと言われている。それでもインターネットが普及を開始する20年も前から、ハートは紛れもなく「情報提供者」だったのだ。
更に偶然にも、彼がプロジェクトを開始した数年後の1970年代末に、イリノイ大学のコンピュータはインターネット(ARPANET)に接続することとなったのだ。これが1つのターニングポイントである。これによってプロジェクトは更に意義深いものとなっていった。ユーザも徐々に増えていったが、それでも「なんかシェイクスピアをネットに上げてるクレイジーな男がいるな」程度の認識だったという
世界で初めての電子書籍プロジェクトはなんと1971年にスタートしている。その名も「Project Gutenberg(プロジェクト・グーテンベルク)」。そんなプロジェクト・グーテンベルクを主宰したのが、今回紹介するキーマン、マイケル・S・ハート氏(以下敬称略)である。
[マイケル・S・ハート氏]
1947年 アメリカ・ワシントン州にて誕生。 1958年 両親とともにイリノイ州へ。イリノイ大学へ入り浸るようになる。 1971年 イリノイ大学にて「プロジェクト・グーテンベルク」を開始。 1997年 公開数が313作品に。ほとんど1人で作業した。 1998年 プロジェクトを大々的に公開。ボランティアが集まる。 2011年 作品は3万6000を超える。 2011年 イリノイ州にて死去。
マイケル・S・ハートは1947年、アメリカ・ワシントン州にて誕生した。彼が11歳の、両親2人がイリノイ大学本校(アーバナ・シャンペーン校)にて教授として就任。その恩恵にあずかる形で、ハイスクールに入学する前から大学の講義に入り浸っていたというのだからその優秀さがしれる。そのままイリノイ大学本校に入学したハートは1971年、同大学の計算機センタからコンピュータの使用アカウントを得た。当時のコンピュータはタイムシェアリングで使用されていたため、非常にシビアに管理されていて1人当たりのコンピュータ使用時間はかぎられていた。それにも関わらず、彼に与えられたアカウントはほぼ時間無制限に使用できる、いわば「特別版」だった。これは管理者と懇意だったための特別措置だったとされている。
ハートは、この特別アカウントを無為にしなかった。何かお礼のようなものができないかと考えたのだ。ある時、彼のカバンには「アメリカ独立宣言」の冊子が入っていた。この文面を何気なくコンピュータに入力していた彼は、その電子データをコンピュータのユーザ同士で共有できないかと考えたのだ。これこそが「プロジェクト・グーテンベルク」の始まりである。ハートは独立宣言の入力後に、聖書、シェイクスピアの著作、そして「不思議の国のアリス」を手入力して、ユーザがコンピュータ上で読めるようにした。ただし、当時の環境では各ユーザへのデータ配布は難しかったため、各ユーザが共通の電子書籍データにアクセスする形式だった。ユーザはわずか100人程度だったと言われている。それでもインターネットが普及を開始する20年も前から、ハートは紛れもなく「情報提供者」だったのだ。
更に偶然にも、彼がプロジェクトを開始した数年後の1970年代末に、イリノイ大学のコンピュータはインターネット(ARPANET)に接続することとなったのだ。これが1つのターニングポイントである。これによってプロジェクトは更に意義深いものとなっていった。ユーザも徐々に増えていったが、それでも「なんかシェイクスピアをネットに上げてるクレイジーな男がいるな」程度の認識だったという。
インターネットが民間にも普及をはじめる1997年まで、彼はほぼ1人で313作品の電子文書を手入力で作成したという。1998年にハートは、プロジェクトの認識を高めるため、イリノイ大学のユーザグループのメーリングリストにその情報を流した。これも大きなターニングポイントである。どうだろう、アッという間にボランティアが集まり、その年末までには1600もの作品が電子化されたのだった。そしてその年、WIRED誌にプロジェクト・グーテンベルクが紹介されるや、ボランティアの数は数千人までに膨らんだ。なお現在ではそのボランティアは1万7000名を超えるそうだ。
電子書籍につきものの著作権問題についてもハートは先駆者としてその方針を提示した。プロジェクト・グーテンベルクにおいては、アメリカ著作権法に基づき、著作権が失効した作品を電子化している(一部作品は著作者の承諾のもと電子化されている)。電子化した文書は、著作権を主張しないパブリックドメインとして配布され、そのデータ形式も基本的にテキスト形式のみで公開されているため、誰もが自由に利用できる。
現在、プロジェクト・グーテンベルクでは3万6000作品が電子書籍として公開されている。英語以外の作品も電子化され、その活動は世界に広がっている。もちろん、パソコンだけでなく、現在提供されている各種端末のほとんどすべてでプロジェクトの電子書籍を読むことが可能だ。
プロジェクトを推進し続けたハートだが、つい先日、2011年9月6日に64歳の若さで亡くなった。このところの電子書籍の動きが活発になっていることを考えると無念の途中リタイアだったのではないだろうか。プロジェクト名に含まれている「グーテンベルク」は、ご存じのように活版印刷の発明者。グーテンベルクは印刷物の歴史を変えた。そしてその名を冠したプロジェクトを亡くなるまで推進したハートは、電子書籍という新しい形態の文化を生み出したのである。
