【本】私が出版社を嫌いな理由
私は出版社に勤務する編集者はジャ-ナリストではないと思っています。
例えば、書籍のタイトル。
これは商業出版を行う出版社の専権事項で、どんな著者といえども介入できない仕組みになっています。
つまり、売るのは当社なんだ、すべてのリスクは当社がもっている、売れなくても当社がその分の責任をとる、著者のいいなりに書名を決めて仮に売れなかったら責任をとっていただけますか、・・・などとほとんど「脅し」状態に近い。
例えば上記の書名は昨年3月に発売されたものですが、著者には大変申し訳ないのですけれど、「・・・・会社は儲かる」という書名ですね、「儲かる」の部分、これは
1.誇大・大げさ
2.虚偽
3.詐欺
と私は思っています。本当にIphoneとツイッターをやれぱどんな会社でも儲かるんですかといいたい。どこまで許されるかという言葉の問題。明らかに行き過ぎだ。
たしかに、売らんかなで一生懸命なんでしょうけれども、出版社はこういうタイトルを何の社会的責任も感じずに、平気で販売市場に放り出す。
このタイトル、新聞社であれぱ絶対どこの新聞社でもこういう書き方はしない。それだけジャーナリズム精神が根づいています。日々の思想、姿勢、訓練が違います。
まったく同じタイトルをつけたとしても「Iphoneとツイッターで会社は儲かる?」とするに違いない。いやそれは事実に反するので、それもしないでしょう。
このように、新聞社と出版社(雑誌&書籍)は同じマスコミという言葉は使っていてもその機能・本質はこうも違うのです。つまり、大げさなことは書かない。しかし、事実だったらズバッと書く。それが新聞。私は新聞出身なのでもすべての思想はそこからきています。
PR広報は広告と違って事実主義。ファクト主義。これがマーケッターとか経営コンサルタントと呼ばれる人種と根本的に違うところ。彼らは顧客のためなら平気でヨイショし、ウソをつくる。
われわれは違います。いつも、事実に基づいて話を展開する。だから時として顧客に対して嫌なこともいう。それが顧客のためになるからとの配慮で。われわれは顧客の問題を社会の問題として捕らえて提案する習性があります。そうでないと外部を活用する意味がないでしょう。
私の創り出すPRアイディアを誰かが揶揄して、「だじゃれが多いので邪道」という指摘もありました。
だじゃれが目的なのではなくて、一定のプロジェクト、作品にするために「遊び」「ユーモア」を付加しているのです。私にとってだじゃれは「副次的効果」をもたらす言葉の遊び、精神安定剤なのであって、PRの本質ではありません。
私はどこまでも王道主義。決して奇をてらいません。正攻法をといわれる王道を歩みながら、くすくすと笑う「エスプリ」をスパイスのごとくふりかけます。それがはすか式ソーシャル発想。
第一、落語なんてそもそもの歴史をたどるとだじゃれのオンパレードです。ひとつのだじゃれをストーリーにして大きく膨らしている。いわく、落語は文化だが、漫才はだじゃれだという人もいるが、ぜんぜんあてはまらない。両者の本質は同じ。
言葉や会話を通じて遊ぶという精神だ。言葉遊びともいう。話芸とも。
ビジネスはもちろんだけど、美容・健康関連の書籍にもこうした過大な誇大表示の書名タイトルが多い。
だから、私は出版社の編集者なんて、ジャーナリストセンスのみじんもない集団だと思っています。いつも売ることしか考えていない情けないサラリーマン根性の塊。もっと「活字文化が時代をつくるんだ」という、誇り高い編集者はいないのか。
やはり一流は全国紙なんです。最近はとくに若い人はソーシャルメディアなどとわめいているが、私に言わせればチャンチラおかしい。どこかの裏庭でピーチクパーチクわけのわからないことを言い合っている、小さな、小さな集団(私はこういうのはコミュニティとはいわない)にしかすぎない。
この本の書名タイトルに代表されるように、出版社よ、誇大表示にあたるウソのタイトルをつけるなと声を大にして叫びたい。
私自身はもう紙の出版社なとどはとっくにお別れしている。かれらには優秀な人材がいないと決め付けています。ウソの情報を平気で編集したり、誇大なタイトルをつたけり、そんな集団とは口も聞きたくないっ。文句があるならかかってこいと。

