社会善でブーメラン広報
【伝説のPR職人】のハスカです。
■タイガーマスク運動(1/2)
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昨年末の群馬県の児童相談所から始まった「伊達直人」を名乗る人物によるランドセル寄付行為は全国的な広がりになり、「タイガーマスク運動」という言葉も生まれたのは記憶に新しいところです。
一連の寄付行為はいずれも匿名で、寄付先の多くは児童福祉関連施設となっており、目頭が熱くなる美談でした。寄付者の中には、70歳代の年長者と見られる人物や小中学生と見られる人物もおり、寄贈品の届け先も老人保健施設や警察、大手スーパーなどに及んでいました。
この運動について、原作者である梶原一騎の実弟の真樹日佐夫氏は「閉塞した時代に風穴をあける連鎖行動」と指摘する一方、児童虐待などで家庭から保護された子どもの増加が背景にあったのでは」と分析。
イラストレーターの山藤章二氏も「タイガーマスクの名を借りるのはちょっとした、しゃれっ気だし、もらった側に負担を感じさせない。私もそうだが、年とともに世の中に恩返しをしたい気持ちが芽生える。ランドセルというのも大げさでないし、直接的かつ謙虚で、まねしたくなる行為だ」と話しています。
さらに明治大学講師の関修氏も、新聞記者の取材に対し、「少年期にタイガーやジョーを見ていた50代の男性が中心だろう。欧米人と違って、日本人は慈善活動で名前を売りたがらない。だけど何か善いことをしたいと思っている。そこで誰かが行動すると、自分もやりたいと思ってこっそり動く。いい意味での便乗。善意のタイガーさんたちは社会に喜ばれることで満足し、生きる励みにする人たち。目立とう精神はないのでは」と答えています。
年末年始というタイミングとマスコミ報道によるフレームアップも相まって二重の意味で「祭り」化していったようにもみえる、今回の「タイガーマスク運動」、いろいろな評価はあっても、社会的にいいことをしてくれたことは間違いない事実だし、単純にさわやかな話だったことは誰しも認めるところです。
■無償の愛でブーメラン広報を(2/2)
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「タイガーマスク運動」は規模が小さく、実際に贈り先に届いたことが目に見えていいのですが、私は海外の国と地域や人への寄付行為をあまり評価していないのです。
自分によこしまな心が宿っているせいなのかもしれませんが、本当に届いたのかどうかの検証報告されていないから疑わしい。心からの善意がどのようになっていったのかの報告を、寄付を呼びかける団体はもっと積極的にすべきと考えています。
Webにテキスト等で表示してあるから十分。それを信じろというのか。私はにわかには信じませんね。Webで掲載報告するのだったらせめて動画で経緯と使用状況の事実関係を明らかにすべきと思います。
私は昨年自分の運営するブレスリリース専門サイト「リリースステーション」 http://s-pr.com/rs/
で、「社会貢献リリースならば無償」という方針を打ち出しました。おかげさまでたくさんの掲載依頼が後をたたないのですが、よくよく拝見してみると、そのほとんどが「寄付金を募集する」というものです。
「これは間違いなく社会貢献リリースです。無償といたしますので、はい、どうぞ」とはいきません。それがどんなに公共性の高い団体だったとしても、それぐらいの情報では私は絶対に信用しません。その団体の設立趣旨から代表者のプロフィール、現在までの活動状況などすべてを丹念にチェックします。
どうして「募金」に対する「結果報告リリース」はないのだろうか。いつも不思議に思います。リリースにふさわしくないと思っているのでしょうか。そんなことはありませんよ。
たとえ、記事にならなくても募金をしてくれた人たちへはもちろんのこと、そうでない広く一般社会に対しても使途報告は知らせる義務があります。「寄付金の使途報告について」というタイトルのリリースでしたら、喜んで無償扱いで配信させていただきます。
さて、今回、書きたかったのは寄付金のことではありませんでした。「無償の愛」という言葉がありますが、社会に対し「無償の愛」的精神で「いいこと」をしていると、必ず自分に返ってくると思っています。
あたかもブーメランのように。
(c) favor-reef |写真素材 PIXTA
ただし、見返りを期待してはいけません。よくその案件のメリットは、デメリットとは?などといいますが、仮にメリットはなく、デメリットだけだったとしてもそれでいいのです。「タイガーマスク運動」のように「社会に対しいいこと」をしてあげればそれで十分だと思います。
その行為が報道されようがされまいが、そんなことはお構いなし。いてもたってもいられないから行動を起こす。それでいいではありませんか。
私は自社を取り巻く環境のみならず、広く社会問題と向き合う精神こそ大切という意味で「ソーシャル発想」と名づけて、その研究を続けています。
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[ハスカ式ソーシャル発想とは]
企業は自社を取り巻く問題のみならず、広く社会の課題に気づき、
自発的にその課題に取り組み、もてるノウハウ・資産を結集して、
問題解決を認識し、発想し、計画し、実行に移さなければならない。
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ソーシャル発想は売らんかな主義のマーケティングとは対極に位置します。売って利益をあげること以上に、地域や社会とのかかわり方を重要視する「ソーシャルマーケティング」がその歴史的背景にあります。ソーシャルメディアのソーシャルではありません。ソーシャルメディアはたかだか5年前後のもの、ソーシャルマーケティングは30年の歴史があり、いまや世界の潮流です。
長引く不況でわれわれ中小企業は大変苦しい経営を強いられていますが、そんな中でも「自社が位置する地域の公的道路の掃除」ぐらいはその気になれば誰でもできるというもの。
私の言う「社会にいいこと」とはモノやお金を寄付するだけではなく、公的スペースを積極的に「掃除」するような、体を使って汗を流す行為をさします。草むしりや水やりでもよく、昔からある通学児童の横断歩道の信号指導もありますね。要するにモノやお金ではなく「汗」を公共の場に提供する精神です。
「社会にいいこと」を「ソーシャル発想」で実行していきますと、誰かがその行為や行動をみています。いつしかその話題はマスコミに届き、取材され報道され、それをみた読者の反響の輪が大きくなっていき、その結果、思いもかけぬところから「いいこと」がもたらされるでしょう。
「いいこと」は何であるかわかりません。あるときは信用増幅だったり、名誉獲得だったり、もちろんビジネス拡大もあるかもしれません。どんな「いいこと」が待ち受けているかはわかりませんが、かいた「汗」は必ずブーメランのように自分・自社のところに戻ってきます。それが社会というものなのです。
「損か得か」とか、「メリットやデメリットは何」という言葉を当たり前のように発するのはよそう。世の中は目に見えないものはたくさんあります。
PR広報活動の成果物は目に見えない「好意・評判・人気・信用・信頼」(好評人信信=こうひょうびとしんしん)の獲得といったもので、これは数値化はできません。強引に数値化している企業も見受けられますがナンセンスです。

