発想の天敵は「mast観念」

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【伝説のPR職人】のハスカです。
すばらしいアイディアは素敵な発想から。
この発想の「軸」さえぶれなければ対象や条件が何であっても対処法は同じなのですが、既存の価値観といいますか、常識・慣習というやつが発想のジャマをきます。
発想をさえぎる最大の障壁がこれだ。 よく「男は○○しなければならない」とか、「女は○○してはいけない」といわれます。なぜ?
私たちは生まれたときから人生のさまざまなシーンで、このmastの観念の壁にさいなまされてきました。
mastの観念とは、mast(~すべきだ、~しなければならない)や、mastn´t(~してはいけない)という「mastの壁」「mastの縛り」のこと。
病気でも無理して会社に行くのは、「休んではいけない。ちゃんと仕事をしなければならない」というのはmastの観念が働くからに他なりません。
夫婦ゲンカをはじめ人間関係のトラブルは、そのほとんどがmastの観念(ちゃんと主義や許容性のなさ)が主原因といわれています。
アイティア不振や枯渇の問題は、このmastの観念の影響からきていますね。
第一、mastの壁に阻まれてヒントや情報が入ってきません。 目の前にヒントがあるのに、見れども見えず、聞けども聞こえずとなります。ヒントが入らないといい発想は生まれず、いいアイディアは出てきませんね。
mastの観念はクリエイティブの足をひっぱり、新しい発想をさえぎります。新しいアイディアはmastの壁を打ち破り、囚われや習慣から飛び出すことから生まれます。
その具体的方法は、「ネバ」や「べき」といった堅苦しい考え方ではなく、「~してもよい」とか「~しなくてもよい」というやわらかい考え方をするといいです。
つまり、mastではなく、canやmayなのです。 「アイディアを出さなければならない」というmastの観念に囚われ、アイディアを出そうとするとアイディアは出てきません。
「アイディアが出てもよいし、出さなくてもいい」と気楽に考えると、すうーと肩や頭の力が抜けリラックスします。すると、α波もアイディアもふつふつと沸いてきます。
私は、mastではなく、canやmayに向かう発想法のことを、
can<may<mast-------キャン・メイ・マスト と呼んでいます。
「can~できる」「may~してもよい」「mast~すべきである」
これら「キャン・メイ・マスト」は文法でいうところの基本助動詞3人組で、次の言葉にいくにしたがって強弱がだんだん強くなってきます。