年1.3億円を稼ぎ出した中国の中卒の少女 | PRアイディア直売所 ~作って売るから安い~

年1.3億円を稼ぎ出した中国の中卒の少女

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【伝説のPR職人】のハスカです。


富裕層者向けにニュースを配信しているメディア「ゆかしメディア 」の2010年3月12日付の記事によると、中国四川省に年1億円を稼ぎ出した中卒少女がいるという話が掲載されています。記事全文を完全ノーカットでお伝えします。


私たち日本人も見習うべきところが大いにありますね。がんばろっと。


中卒で年1.3億円を稼ぎ出した農村出身の少女


 中国では大学を卒業しても、学歴に見合った職に就くことができない人が大勢いる。しかし、中卒で農村出身の少女が起業をして大成功し注目を集めている。ドラックストアを経営し、店舗は貴州、雲南、西安や上海など全土に広がる。起業2年足らずで、1年間で1000万元以上(約1億3000万以上)を稼ぎだした。地元の四川新聞で紹介された、この少女とは一体どのような人物か?


 名前は廖心さん(りょう・しん)。短く切った髪、赤い洋服に合わせた短いスカートがよく似合う、一見普通の女の子だ。しかし、ありふれた外見の少女は、とてつもなく大きなエネルギーを秘めていた。


 廖心は中国四川省眉山市にある農家に生まれた。母は体が弱く病気を患いがちで、生計は父親がどうにか支えていた。こうした家庭の状況を理解し、彼女は幼い時から、炊事、洗濯、掃除、家畜の世話などを行った。


 そして1998年、専門学校に合格したものの、家には学費を支払う余裕はなかったが、飲食店や市場で働きながら何とか学校に通ったという。2002年卒業の年に、不幸が重なり、母が長い患いの末亡くなり19歳の少女は、悲しみに暮れた。暗い気持の中、廖心は「お母さんは貧しさと病気のために、早く逝ってしまった。せめてお父さんだけには安らかに晩年を過ごしてもらおう」と心に強く誓ったという。


母が与えてくれたヒント?


 現状から抜け出すために、廖心は出稼ぎをやめて経営者になろうと決めた。何を始めるか考えた末、健康産業に目を向けた。長い間病気に苦しむ母親を見ていたため、この分野に特別な思い入れがあったし、人々の暮らしが豊かになるにつれて、多くの人が自分の健康に関心を持つように思われたからだ。


 しかし、いざ事を始めてみると現実はそう甘くはなかった。四川省眉山市には、ドラックストアは一軒もなく、さらに致命的なことに経営の知識が何もなかったからだ。コネクションを作ることを考えて、薬を売る商売を始めた。眉山市内に古い部屋を1日50元(約750円)で借り、1日3食を小麦のまんじゅうや、麺類だけを食べて過ごしたという。


 いつまで経っても商売は軌道に乗らない。毎月の収入は200元(約3000円)ほど。時には日本円で数百円にまで下がったこともあった。絶望の中で、母の夢を見たという。肉を食べたいと言う母親に、どうにもできない娘を見て母は消えてしまったという残酷な夢だ。せめて、父にはという新たな決意が芽生えてきた。


●2年足らずで50店以上出店


 廖心はその後、一度故郷の村に帰った。家は相変わらず貧しく、父親は腰が曲がって随分老けていた。こうした様子を目の当たりにして、改めて大きな責任を感じ、起業への情熱が胸の中に熱く沸き起こったという。今までの失敗について冷静に分析をし始めた。


 まず、彼女には経営ノウハウがなく、商品に対する理解も不足していることが何よりの問題だった。そこで、成都にいって他の店の経営を学び、眉山に戻ってそれを実践した。極力節約するために、食事は3食まんじゅうで済ませる毎日も、腹は空いたが、心は希望で満たされていた。そうするうちに商売も徐々に上手くなっていった。


 こうして自分でマーケットを切り開き、2008年5月、ついに眉山市内に約100平方メートルの店を出すことができた。売り上げが倍になるに従い、2009年、さらに西安や貴陽、上海などの他都市にも出店。現在、彼女が経営するドラックストアは全国に50か所以上ある。


 年間で1000万元(1億3000万円)を稼ぐまでになったそうだ。沿海部だけがクローズアップされがちな中国経済。しかし、こうした大きなエネルギーを秘めた農村出身の少女がいることも、中国の急速な経済成長を支えるパワーの一つなのかもしれない。(了)


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