日清のどんべぇ、どこにあるのか分かります?
。。。あんまり分からんっ!
わざと、アディダスのズックで、
練りつけるように歩いてやった。
でも、奴は、平気だった。
壁は、白。
白というか、すこし、黄緑色みたいなのを、
ほんの少し加えた色。
でも、
もしかしたら、
入口に対面するようにある、
でっかいガラス窓から、
こぼれてくる太陽の光が、
壁の色を、変えていたのかも。
。。。
温室のような、キッチンだった。
窓から注ぐ光が、
とても心地よかった。
なので、
今思うと、
ここで、
パパイアとか育てたら、
ぐんぐん育つのだろうな、
とか思う感じ。
。。。
全く何もない、
ねずみのねじろ。
しかし、
確かに、
あの、
sohoの、
階段てくてく何と急な階段だ。。。
のアパートよりかは、
はるかにバージョン・アップしていた。
。。。
ぐるりと周囲を、
まっさらのカーペットを、
わざくれ、ねりねり歩き回った。
そろそろ、
怒るかな。
怒る訳ない。
こいつ残酷な気質っぽいしな。。。
。。。
褒めるものも別にないので、
でも、
偵察及び観察なので、
しっかりとイン・プットした。
。。。
やにわに。
ねずみが、言った。
( ミルフィーユ、買ってある。 食べよ。)
アップダウンのない、
冷たい感じで、
除夜の鐘みたいなトーンで言った。
。。。
めっぽう素直でない私は、
( 今、いらん。 お腹いっぱいやし。 )
。。。大うそつきでした。
でも、ねずみは別に動揺もせず、
灰色のカーペットを、
素足で、
つつつ、と歩いた。
土足厳禁の、ねじろ。
我慢強いねずみだった。
。。。
忍耐強いねずみは、
素足で、冷蔵庫のところまで行った。
( ここのケーキ美味しいのに。。。特に、ミルフィーユが。。。)
。。。いやらしい言い方する奴。
。。。。いいから。
食べるとこ、見といてあげるわ。
つじつまの合わない日本語だった。
それでも平気なねずみだった。
とうぅ び こんてぃにゅ~どっ
アンドロメダ星雲の、小僧さんだった頃の私です。
↑
とても大人しくて賢かったころの私です。
当時の私の作品です。
↓
泳げない腹いせに、置き手紙を書きました。
根っからの、waruです。
こんな切り紙とか大量に作っていました。
主流は、pinkです。
まだこの頃は、赤系統の服が大半でした。
ピンクはアウトラインがぼやけるという理由で、あんまり着ていなかった。
( 色褪せするから ) という母の主張も強かったです。
それは今もそうです。
そう、脳裏に叩き込まれました。
この時点では、まだ、大人しい方でした。
ヘアスタイルも、オリエンタリズムを強調するボヴでした。
あわよくば国際結婚を、もくろんでいた頃です。
しかし、この後、ソフトなウェ~ヴって言ったのに、
スパニッシュのスタイリストさんが、
爆発スタイルにしてしまい、さらに帰り道雨で、
かなりダメージを受けていました。
次第に、短くカットしました。
最終的には、マンハッタンかどっかで、カットしたのかな。
アシンメトリのカットでした。
丁度、サリーちゃんから、弟のカブのヘアに移行した、というのが、
リアルに想像していただけるかと存じます。
正確も、ヘアスタイルの変容とかっきり同調して、強きモード満載になってゆきました。
ま。
そのくらいでなかったら、
もたなかったと今も思っています。
精一杯、がんばっていた頃の勇士と推量下さいませ。
中央は、( 当時は) rupo らいた~目指してた、seikoちゃんです。
私の方が、先に、seikoちゃんの、ドキュメントを開示しちゃったかも知れないです。
。。。
seiko ちゃんへ。。。
そのせつは、大変、お世話になりました。
( マスカットと、雑誌MORE ) ありがとうございました。
これからも、どうぞ、仲良くして下さいね。
でも、次第に、( battle form ) を習得してゆきました。
ⓒ 2008 chiecororine / pricoa-japan
P。S。 次号は、数少ない日本男児のphotoを少し。。。
多分、叱られないと思います。
叱りに来たとしたら、再会して笑えるので、
それはそれで、良しですね。
当時は、中国系韓国系の御曹司組が、多かったです。
徴兵制があるためです。
外貨持ち出しが制限あるらしく、
( ランボルギニ買うから、ちょっと貸して。。。)
とか、平気で言われて、
( あほんだらっつ! )と、日本語で叫んだ記憶もあります。
金銭感覚は、当時でも、韓国はダントツでトップでした。
何のトップかと?
勝ち組です。
既に、この当時、ご子息世代の留学生でも、
韓国は、桁はずれに、勝ち組でした。
寮の部屋で勝手に焼肉をして、煙でアラームが鳴ってもね、
平然と、食べ続けていました。
かっこいいな。 とか一瞬思いましたとさ。









