「かなさんどー」を語っちゃってもいいですか!賛成!

リリース時期的にも季節的にも今じゃない感満載だけど✌️


21.10.29のRIDE ON TIME内で「かなさんどー」が少し流れたのでその部分の動画を貼ります!!!




rainboWの桐山照史さんのソロ曲「かなさんどー」

7人全員のソロ曲が発表された時、誰がどの曲か伏せられていたが、字面で「沖縄っぽい、これやん、」と誰もが気づくほどの丸出し沖縄感(^^)

そして意味を調べると「愛しています」

ひぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ありがとうございます

詳細解禁、作詞作曲どちらも桐山照史、、、、???

何から何までできすぎやろ、、、アイシテル、、、

という感じになって〜〜ここからは落ち着いて話します


沖縄の音楽は聞いただけで沖縄っぽいと感じる。

それは『沖縄音階』というものが使われているから。

この音階は音階の第26音が使われない。

例えばハ長調で言うと、レとラの音を使わず、ドミファソシだけの音で構成することで沖縄らしさが出る。


これを「かなさんどー」に置き換えてみた時、

この曲は変ホ長調で第2音はファ、第6音はドとなる。

この音は果たして本当に抜けているのか、、、、、

(私は音感が壊滅的なので耳コピして下さってる人がYouTubeに出している楽譜を見て確認)



普通にガッツリ使ってた


なんならAメロはドから始まってた(^^)


沖縄風のポップスにおいて、沖縄音階が使われないことも多々あるが、その場合はバス(伴奏)に沖縄音階を入れることで沖縄らしさを出している。

「かなさんどー」はそれすらない。



そういう概念とか常識に囚われずに自分で自分が感じたメロディを作るの本当に素敵だなと思うし、その自由さこそが真の音楽なんじゃないかと思う。


ただ、沖縄音楽の特徴である【短い音の連続+長い音】

これは「かなさんどー」にも使われている。

しかし私の予想としては照史さんが沖縄音楽の特徴としてわざとやった、という訳ではなく、普段聞きなれた沖縄音楽が作曲の時にアウトプットされたんじゃないかな?と。


にしても沖縄音楽の1番の特徴である沖縄音階を使わずに何故そんなに沖縄感が出る?

と考えた時に私の個人的な意見として出たのは照史さん自身が持っているものなんだろうな、と。


そもそも論として三線で沖縄感満載なのは承知だが、個人的意見として照史さんのアカペラでも沖縄ぽさは出ると思う。


照史さんの歌い方はすごく色んな種類があって

・僕らの理由や証拠などのロック系のものでは、がなりを効かせたTHE 漢!!の歌い方

・ボクらや赤マフなどは、ミックスも混ぜながらの暖かく包み込むオレンジ色の夕暮れのような声

・ギミギミやToxicなどの大人の曲では、がっつりファルセットの爆発的な高音フェイク

・埋もれず個性を出し、しかしメロディを殺すことのない絶妙な塩梅のハモリ

・乗り越しや「かなさんどー」で見られる民謡チックなこぶしと素晴らしすぎる抜き具合の歌い方


この無数の歌い方を照史さんが意識的に使い分けているのか、無意識に使い分けてしまっているのか、分からないが

どちらにしても感性が本当にすごいな、と思う。


「かなさんどー」では最後に挙げた民謡チックな歌い方はもちろん、それに加えて2つ目に挙げた暖かい声。

これを両立して存分に使ったことで沖縄音楽らしさと沖縄・愛する(予定の)人への暖かな愛が表れていた。


自分で作った「かなさんどー」という曲を歌う照史さんはいつも以上に生き生きして見えた。

誰を思いながら歌っていたのかは分からない。私たちファンかもしれない、大阪の家族かもしれない、沖縄の家族かもしれない、もしかしたら愛する女性かもしれない。

聴く側が「きっと照史さんは自分を思って歌ってくれている」と思えば、都合良くそうなる。それが音楽、歌のいいところだから!!!!


とりあえず今回は作曲に関しての語りだけ!!

次は歌詞について語らせてください😽✌️