記憶にない祖父の話 | 楡と桐

楡と桐

こなみと申します。
ピアノや放送大学(人間と文化コース)の履修状況についてつらつら書いております。
数年前はゲームなどの感想を書いていました。思い出がいっぱいなので残しておきます。

今回は、あまり読んで楽しくない私的な思い出を書いています。


昨日、母の通院に付き添い…というよりお供をしてきました。

齢80をとうに超えているのに私より健脚で

ほぼ毎日10000歩以上歩いており

付き添いなど要らないのです😅

とはいえ、少しずつ機能の衰えがみられ、心配もあります。

幸いにも本日は特に変わった所見はありませんでした。


リニューアルした九段会館の向こうには抜ける様な青空が広がっていました。




その後は恒例の九段下〜虎ノ門へのウォーキング。

暑くて上着は脱ぎました。


母は少食なので、昼食を取るのはやめてカフェで☕️ケーキ🍰を。

最近食欲が止まらなかった私は、ダイエットのチャンスだわ〜とコーヒーのみいただきました。


良い話も悪い話も

私の知らない昔の話を沢山聞きました。

内容はぼかして書いているため

ポエムになってしまっております😅


物心つく前に亡くなった祖父の晩年の話。

何度となく聞かされてきたそれは

時系列に不自然な空白があって

ずっと疑問に思っていたのですが

父も亡くなり数年経ち、母も

もう伝えても良いと思ったのでしょう。

真相を教えてくれました。

当時は戦後二十年あまりでしたが

祖父にとって戦後は不運と失意に満ちており…

その不運の多くは他人の悪意によるもの。

記憶にはないはずの祖父の背中が目に浮かび

涙が出てきます。

同時に、幼い頃に生家で感じていた

閉塞感の理由が判明したことで

気持ちに一区切りできた気がしました。


もうじきその祖父の五十回忌。

私は何も覚えていないのだから…と

母と兄だけで法要を行うとの事。

水臭いとは思うものの、気遣いを無にするわけにもいかない。

後日墓前で手を合わせてこようと思います。