夫婦でやすらぎの里一週間を終えました。

夫婦deやすらぎに行く経緯は前のブログから。

 

いや〜、本当に最高の時間を過ごすことができました。

 

 

 

 

ちょっと長くなりますが、忘れないうちに、振り返りを書きたいと思います。

 

 

①旦那さんという最大の味方を得た!!

 

まずは、旦那さんと価値観を共有できたことです。

今までは、私だけがやすらぎの里の魅力を知っていて、生活の中でも実践している状態でした。

私はできるだけ和食を心がけていても、旦那さんはお酒をがぶがぶと飲み、ご飯にマヨネーズをかけ、刺激的な味を求めているという、、、。

 

やすらぎの里代表の大沢先生が

「男の人は体験してみないとわからないから」

と話してくれたのですが、まさに体験しながらやすらぎの里の考え方を吸収して、めっちゃ理解者になってくれました。

帰ってきても

「やすらぎの里のメニューをできるだけ一品は作りたいね」

と自分から作ろうとまでしてくれていて、感動です。

 

 

 

一週間の滞在中に、伊豆の海や観光に行けて、付き合っていた頃以上に楽しい思い出ができました。

今が夫婦史上最大の愛情レベルです。

愛情は育むものですね。

やっぱり、これまでの私たち夫婦の歩み寄りがうんだ結果だと思いました(ドヤ)笑。

 

 

 

 

 

②幸せとは、淡々としている。ということ

今回の滞在で、ふと降りてきた言葉です。

幸せって、自分が思っていた以上に淡々としているんだな、ということ。

 

4年前に親友と2人で一泊二日のやすらぎ週末旅をしました。そのときのブログがこちら。

そのときに、気がついたのは「愛=安心」だということ。

愛というのは、幸せとも言い換えられると思います。

「幸せ=安心感」というのも、真実だと今も考えています。

 

ただ、その安心感って、すごくがんばってがんばって得られるものではないというか。

日々、淡々と丁寧に過ごす中で感じられるものなんだな、と実感したんです。

 

それに気がついたのは、金曜日の朝海沿いの山にトレッキングに行った後の帰りのバスの中でした。

私の後ろの席のゲストの方たちが、「明日から現実に戻るね〜。帰ってからあれも食べたいし、これも食べたいよね〜、でも我慢しないとだよね〜」みたいな(多分)会話をされていたんです。

 

 

 

で、私も前に来た時、そんなこと話していたんです。

「あ〜、わかるな〜」と思いかけた瞬間、

 

ちょっと待てよ😎

 

と心の声が、、、。

 

いや、そういうのってちょっと違うんじゃね?

ワインやチーズやそういう美味しいもの食べて幸せって、幸せと違くね?

もちろん、そんな日があってもいいけどさ。

 

だけど、それが毎日続いたら、飽きるよね。

 

飽きない幸せって、本当はもっと淡々としていて、薄味なんじゃないの??

玄米とご飯と副菜とってやさしい味の食事を味わって食べて、自然の中を散歩して、大好きな人と語り合ってっていう、なんていうかこう、当たり前の生活の中にずっとあるものなんじゃないの???

 

あー、たしかにそうだ。

私はもっともっとってドーパミンの欲しがる幸せを求めていたな。

 

そう思ったらふと肩の力が抜けたような気がしたんです。

もともと頭ではわかっていたことなのかもしれないけれど、体で理解した感覚でした。

もっともっとという感覚こそが、逆に私たちの幸せを感じる心を小さくしてしまっているのではないか。

もっと欲しい、もっと美味しいものを食べたい、もっといろんな場所に行きたい、もっと素敵な人と出会いたい、もっといい職場で働きたい、もっと認められたい、もっとお金がほしい、もっと、もっと、、、、。

今ここにある、薄味の日常こそが幸せなんじゃないかと。

それは、やすらぎの里だけではなく、日常で感じられることなんじゃないか、、、。

 

だから、ブログもほどほどに書いていこうと思ったりして😅

 

長くなったので、今回はここまで。

素敵な方々との出会いも書きたいので、続きも書きます!

 

では、また👋

 

 

心も身体もゆるんで、自分とゆったり向き合うことのできるやすらぎの里のホームページは、こちらから。