『The garden-party』

by Katherine Mansfield

本日は、Katherine Mansfield氏の、短編、
『 The garden-party』
の翻訳+あらすじ紹介をします。

Katherine Mansfield氏は、ニュージーランドでは最も著名な作家と知られていますが、病気による短い生涯のため、作品の数はものすごく多いというわけではありません。

ですが、珠玉の短編を残しており、それがまだ愛読され続けています。


本日は、私が原文から翻訳し、さらに要約した内容を掲載させていただきます。


『園遊会』

とも訳されるこの作品ですが、作者の得意な、登場人物の心理描写が生き生きと感じとられます。

では。



『 The garden-party』

『庭園での宴会』

Katherine Mansfield作



『またとない、ガーデンパーティ日和の朝』

その日、ニュージーランドの上流階級に属するシェルダン家は、かねてから計画していたガーデンパーティの準備で朝から忙しかった。

天気も庭の花の具合も、最高に調子がよかった。

一家の娘であるラーラは、庭に張るテントの用意のために、朝食も途中にして外へ出て、手伝いに来た労働者たちの監督を始めた。

彼らの素朴で親しみやすい姿を見ているうちに、彼女は彼らに対して心惹かれるようになった。

そして、階級による差別の不条理さを感じ始めた。 

『屋敷の中での華やかな準備』 

友達からの電話のためラーラが家の中に戻ると、中では彼女の家族や召使たちがパーティの準備をしていて、華やかな様子だった。

兄弟たちは衣装の支度をし、花屋からは美しいユリの花が届き、姉妹たちは歌の練習をし、コックは15種類ものサンドウィッチを作り、菓子屋はシュークリームを持ってきた。

しかし、ラーラが再び庭へ出ようとしたとき、戸口にいたコックや召使や菓子屋たちの間から、不穏な空気が感じられた。


『遠い隣人の不幸』


シェルダン家の屋敷のある場所のすぐ下に広がる路地で、一人の若い男性が死んだというのだ。

彼には妻と5人の子供がいた。

シェルダン家でガーデンパーティを開き、人が大勢集まり、音楽隊が演奏したりすれば、その男性の残された家族にも、パーティの騒ぎが聞こえるだろう。

ラーラは彼らの心情を思いやり、パーティを延期するように姉妹や夫人に訴えたが、結局は説得されてしまい、パーティは行われた。

客人たちは皆大いに楽しんで、パーティは大成功だった。 

『不安に駆られながらお悔やみへ行く』


パーティの後、シェルダン夫人の提案で、残った花や食べ物を持って、例の死んだ男性の家族の家にラーラはお悔やみに行くことになった。

彼の家のある路地は薄汚く、危険で、ラーラたちは小さい頃、入ってはいけないと言われていた場所だった。

不安に駆られながらその家に着くと、ラーラは彼の親戚に案内され、泣きはらして打ちひしがれている彼の妻に出会った。

ラーラは早く帰りたかったが、男性の死体が安置されている部屋へ入ってしまった。

『安らかな死を見、人生について考える』

その男性の死に顔は、安らかなものだった。

穏やかな深い眠りについた顔だった。

ラーラは畏敬の念に打たれ、自分のパーティ用の華やかな姿を詫びながら、泣き声をあげた。

ラーラは帰り道に、迎えに来た自分の兄に出会った。

彼女は死を目の当たりにし、人生について何か感銘を受けたことを伝えようとしたが、うまく言えなかった。

しかし、彼女の兄は理解してくれた。


『完』



いかがでしたでしょうか。


ニュージーランドの裕福な家庭に生まれた作者は、もしかしたら、自分の体験をラーラというキャラクターを通して、読者に伝えているのかもしれません。


また、訳しながら、

ラーラの屋敷にお菓子を運んでくるお菓子屋さんが、『GOD DIVA』というのですが、これが、『もしや、あのGODIVA?!』と思ってしまいました。


(関係ないそうです)


命の敬謙さや、相手を『悼む』気持ちに気づき、成長していくラーラの心理面が、リアリティを持って描かれているところが、この作品のおもしろみだと思います。


私も、生きてくる上で、大切な人を亡くしたり、別れや悲しみを通してわかるようになったことがあります。


それは、どんなに裕福な生まれであっても、必ず経験することです。


その時に、人間としてどうあるべきか、心の底から考えた答を出さなくてはならないと思いました。


Katherine Mansfield氏の作品は、そんなことを考えさせてくれました。