久しぶりのブログ。
もう話すこともないかと思っていたけれど。
今一度、ここに書き記しておこうと思った。
映画のような人生だと思っていた。
どこかで上り坂があって、どこかに下り坂がある世界。
どうにかすれば、どうにかなってラストがある世界。
多分、今待っているのは孤独の死。
この一年は大きな事があった。その点においては「映画のような」日々だったかもしれない。でもこれはプロローグにもならない。
とにかく今は明日を生きる事しかできない。
なにもない。あるとすれば、自分と存在がだんだんともし火を弱めていくような感覚。
扉を開けたところで、まっているのは24時の先の1時、2時。
そこに変化があるとすれば、ただ老いて死にゆく細胞だけ。
なにも変わらない。いや、自分が変わろうとする努力をすればいいだけ。それをずっと言い聞かせてきた。行動はしたか?機会はあったのか?それでどうなった?
下をみて安堵するだけ。そのうち、自分が一番下になる。
でもその「上下」なんて、ただの個々の尺度に過ぎないから。そう思って目を閉じるだけ。
いつの間にか寝ていて、いつの間に起きていた。
毎日同じ繰り返しを気付きもせず、疑いもせず、生きてきた。
あの16歳の日々、14歳の日々、10歳の日々は、美化という言葉では表現できないほどの黄金に満ち溢れていたように思う。毎日の変化に気付いた。毎日の楽しさや素晴らしさがあったように思う。
お金や名声がなくても、なんでもよかった。そんなのに縛られない日々が存在していたのは確かだった。
そして今。今ってなんだ。どこなんだ。私はそれでも考えようとはしなかった。
考えたくなかった、というよりは考えても仕方なかった。ただ隠鬱としたコンクリートまみれの灰色。拳をあげようとも、天井が低く、血がにじんだその手にはタールのようなどろどろとした絶望にまみれた。
都会だったわけでもない。田舎だったわけでもない。中途半端。全部中途半端。
責任はどこにもない。自分にすらないように思う。責任なんて言葉は嫌いだ。
誰が悪くて、誰が悪くないか。考えるだけ無駄だった。全てはこの状況だけ。そこに佇む、からっぽの自分しかなかった。
「映画のような人生だと思っていた」
ばかなのか?少しくらいは真面目に考えてみればよかった。
でも、それでも私は信じている。自分が特別で、この世界は映画の中。
私が主人公だなんて思ってない。それでも、いつか出演できる役。
それはいつだろうか、そんなことを思っている内に、きっと物語は終盤へと差し掛かるだろう。
何回も何回も繰り返し問う。「今までの人生に意味はあったのか」
リキュールが脳を鈍らせる。それでも私は考える、考える。
何も、迷路のような人生だなんて思ってない。ゴールがない一本道のような感覚。否、そんなこともない。じゃあなんだ。わからない。
そもそも、そんな道すらないと思う。
全部からっぽ。それだけはわかる。ただ歯車として生きるのだけはいやだ。
なにか欲しい。なにか痕跡を残したい。人生に意味が欲しいんだ。