二章

4月1日春が訪れていたが
まだ少し肌寒い空気が流れている。
多くの企業の入社式が行われようとしている。
駅や街には多く新社会人と思われる若者が
少し大きめにも見えるスーツを着て歩いている。
新しい濃紺のスーツに白シャツにネクタイ、
黒のスカートスーツに白シャツ、
そんな人の群れが流れていく。

その中に健一は居た。
着慣れないスーツを着て黒いかばんを提げ、
髪型も耳が出て前髪も眉毛が見えるように調髪されている。
健一も入社式会場に向かっていた。
オフィス街の大きなビルでその入社式は行われる。
自社ビルではなく入社式のためにその会場を借りている。
健一はそのビルに入る前に自分の右手の薬指にはまっているリングに気付いた。


「アクセサリはまずいか…」
健一はあやとおそろいのリングを風呂や洗面台の前でしか外すことはなかった。
そのリングは健一がビルに入るのと同時に
健一のポケットに入れられた。

広い会場につくと多くの人が前から順番に座っていき
健一は前から5番目の真ん中辺りの席に着いた。
会場もいっぱいになり健一は辺りを見回した。
自分と同じような格好をした人間が無数にいた。
女性も4割ほどいるようだがそれも白黒の身なりである。
舞台の上では役員が準備をはじめていて
マイクのテストなんかをしている。

「みなさん、おはようございます」
司会らしき人があいさつをする。
「声が小さいですね、元気良く行きましょう!」
「おはようございます!」
「おはようございます!」
体育会系が嫌いな健一は二度の挨拶も同じ声量である。

退屈な話に何度もあくびをこらえて
涙目になった健一はおもしろくない映画を見るような気分だった。
しかし入社式の後の研修では退屈は消えた。
挨拶の練習だった。

「おはようございます!」
「いらっしゃいませ!」
「少々お待ちくださいませ!」
「お待たせ致しました!」
「ありがとうございます!」

そんな発声練習が延々と続いた。
おじぎの角度から声の大きさ、表情まで
厳しく指導される。
ちらほらと個人的指導を受ける。
健一もお待たせ致しましたのおじぎの角度を注意された。
誰もがうっとおしいな、と思っているだろうが
表情から読み取られるのを恐れ
必死にがんばっているように見せた。
いや必死にがんばっていた。

一日目の入社式と研修が終わり
夕方になった外に出た健一は早速たばこを吸い
ニコチン切れを解消して
恋人あやに電話をかけた。
あやは電話に出なかったが、
健一が帰宅の電車に揺られているときに
あやから電話がかかってきた。
健一は辺りを見まわして電話に出るのをあきらめた。

電車から降りるとすぐに健一は着信履歴を出し
あやの着信履歴から発信した。
あやは2コールで電話に出た。


「もしもしぃ!けんいちぃ?」
「おう!あや?電車乗ってたから出れなかったよ」
「あ、そうなんだぁ~私も最初の電話のとき電車だったんだよ、同じだね~」

あやはいつもどおり明るく天真爛漫だ。
入社式どうだった?と訊いたあやに
健一は普通だったと答えた。
健一はただ思い出したくなかった、その面倒だった入社式を。
社会人初日の初々しさをあやに伝えたかったが、
初日が素晴らしいものではなく将来への第一歩となるような光は見えなかった。
それを思い返すのが嫌だった健一は、あやに普通だと答えたのだった。



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