さくら通り教室では、

ライティングドリルやタイムドリルなどのお直しに

フリクションボール0.7(中学生以上は0.5)の

”オレンジペン” を使うことを推奨しています。

幼児さんを除いて、正解に丸や花丸はしません。

間違いには青でvをつけます。

すべて、
“間違えた箇所にこそ集中する”
ためです。



間違うことって
すばらしい♡



勉強は
量ではありません、
質です。(断言!)


最小の労力で
最短の時間で
効果を最大に引き出す。
私は面倒くさがりなので、
無駄が嫌いです(笑

効率よく学ぶにはどうするか。

╭━━━━━━━━━━━╮
 理解できていないところを
 洗い出して把握 =お直し
 二度と同じ間違いをしない
╰━v━━━━━━━━━╯
これが
成長への最短コースです。



 

では、
そのために何をするか。



間違っている箇所と
正しい答えを
一目でわかるようにして
繰 り 返 し 

   復  習 !


これが、最も効率がよいです。

赤い透明下敷きを載せれば、
青い "v" も、

自分がどう間違えたかも

明らかです。
(中学以降はテスト前の確認学習に最適)

オレンジで正しい答えを書くことで

シートを避ければ、瞬時に正解を確認できる。

これは英語に限りません。
世界で一冊だけの、
自分のための最強の問題集は
一度問題を解いてお直しをするだけで
自分で作ることができるのです♡

 

 

たくさんの問題をこなすだけでは学習になりません。
特にお直しなしの学習には全く意味がありません。

量をこなしたからといって安心はできません。

身につけてこその学習。
ぜひ時間は有効活用してください。
 

易しい問題でもいい。
自分の中にしっかり取り込むこと。
何度も見直して同じ間違いをしないようになる
それが成長、それが学習です。

熱く語ってすみません😅

というわけで、
当教室ではオレンジペンの使用を推奨しています♡
なぜフリクションかと言うと、
一回で正解に辿り着けるとは限らないからです(笑

見直す必要がある以上、
一目で正解が見えるようにしてほしい。

正しい答え以外は残してほしくない。

なので、消せるオレンジペンが最強なのです。

よかったら皆さんもぜひ、

"オレンジペン学習"

始めてみてください٩(ˊᗜˋ*)و

"モノより思い出"の前に、独り言なこっちをup。



7年放置しても綺麗に咲いてた。

 

一人で実家の整理をする自信はありませんでした。

業者さんを入れるのは当然のこと。
あのモノと相対するだけで気力を使い果たすし

アルバムや本を見始めたら止まらないだろうし

 

でも業者さんを入れる前に、

抜き出しておきたいものがある…


【捜索対象物】
母の

・シャネルのショルダーバッグ

・オメガのコンステレーション

 

父の

・メープル金貨

・ナゲット金貨

 

業者さんが処分してしまったら

ちょっと悲しいものだけ

先に発掘しておきたい!

超信頼できる仕事も丁寧な業者さんだったので結果としては無駄な作業だったんだけど。

 

汚屋敷でも引かない友達、

手伝ってくれないかなぁ。

 

友達は

一生の財産です♡
周りの人に本当に恵まれてて感謝しかない…

 

おそるおそる声をかけたら、

二人とも二つ返事で来てくれて

遺品整理業者さんを入れる前に

3回自宅を捜索。

 

しかしこれがまた

なかなか見つからないんだ!

 

母のバッグは

床も見えないドアも開かない

ゴミ山のウォークインクローゼット

上の棚から発見。
2回目の訪問でした。

 

コンステ発見は3回目の訪問時。

リビングのライティングデスク上

書類盆の書類下にあった薄い紙箱の中。

他の貴金属類と一緒に発見!

 

母は癌発覚の直前に

カリブ海旅行に出ていたので

船内でのパーティ用の

ドレス・靴・鞄・アクセサリーの

組み合わせメモと一緒にありました。


旅行用アクセサリーポーチも

山ほどもってるくせに
まさかの紙箱で持参してたとは。

 

やったら大げさな元の時計の

空箱は先に見つけていたので、

本体が思いがけないところから

出てきた時は、嬉しさより

脱力感ハンパなかった…

 

モノの捜索って、

しんどいです。


誰かと話していないと、

長年使われていなかった

家の重たい空気に

心が潰れそうになるし

川底から

一粒の金を探すような

作業が延々と続く。

 

「これは一人でやると病むなぁ」

 

と友達が言ってくれて

救われた。

 

こんな遠方まで呼びつけて

ゴミ屋敷の捜索させて

本当に申し訳ないしありがたい。

 

結局

父の金貨は見つからないまま

宝(?)探しは終了。

 

モノってエネルギーなんだね、多分。
使われないものの負のエネルギーって

目の前にどーんとあると、

それだけで気力を根こそぎ奪い去っていく。

 

断捨離大事。
"使うモノ"に囲まれる" って

本当に大事。
 

なんか実家だけではなくて、

自宅も(教室も)

何とかせねばと思い始めました。

 

 

 

 

この春休み、

実家じまいに明け暮れています。


幸い、超良心的な遺品整理業者さんに巡り会えて

本当にありがたくサクサク進んでいるのですが、

とにかくモノが多すぎる。

4回は自力で運転しましたが

 

運転して、

作業して、

運転して帰ってくる…

 

これだけで、へろへろになってしまい
見かねた父がタクシーで往復するよう言ってくれました。

貧乏性の私は、片道でも万単位かかるのに胸が潰れそうなので

せめてMKさんを選んでいます。

甘えてみたら、

これがすばらしい効率up。

車の中でパソコン仕事もできてコスパよし。

 

実家はとにかくモノが多いです。

 

「何かに使えるかも?」
と思ったら捨てない母と
ストックの購入と収集が大好きな父。

母の遺した

空き箱・空き缶・空き封筒

やりたかった洋裁用の生地の山

木目込み人形の道具や材料の山

和紙のちぎり絵の色紙や

水墨画の道具と無数の作品。

パン生地の人形や花のアクセサリー

着物リメイクするための本や反物。

 

父のストックは、

さまざまな種類の紙、

クリアファイル、

ペンやラベルなどの文房具。

趣味のコインや切手収集

あとは、

いろんな国の飛行機に乗るのが好きで

100社を軽く超える航空会社の

スプーンや砂糖(!)

昔は記念持ち帰りOKだったとは知りませんでした。現役で世界を飛び回ってた30年ほど前までのものでしたが、あかんのちゃうんと、ぐぐったのは父には内緒です。

 

そこに、着道楽な母の

洋服にバッグに靴や着物。

特に靴!

あんたはムカデか!なくらい靴が…

 

結婚当初、

納戸にある母の靴ストックを見たオットが

「イメルダ夫人みたいだね」

今時この例えでわかる人がいるのか

と言ったくらい、

1〜2回だけ履いたブランド系の靴の山。

それも箱と中身全然合ってない!
同じく1〜2回だけ使っただろう

ブランドバッグの山。

 

保証書も箱も保管袋もろくに残っちゃいない。

納戸のゴミ袋の中から出てくるんです、

ヴィトンの保管用内袋とかプラダのが!

捨ててないあたり、整理する娘泣かせな。

うちは普通のサラリーマン家庭です。

父はずっと公務員。国家公務員→地方公務員→国際公務員

母は長者番付成金のお嬢様だったので

一介の研究者の父と結婚しても 

その感覚が抜けなかったし、

その母を見て育った私も

確かに30代までは確かに

キラキラした贅沢が大好きで

上から下までブランドモノで固めて

気分転換にホテルステイしたり

母と一緒に

ホテル主催のカルチャースクールに通い

そこで知り合ったマダム方との交流で

「わーいセレブの世界〜♡」←エセレブ

を垣間見た時期もある…

だから母を否定する資格はないんだけど、

 

結婚して母から離れて気づいたこと。
本来は私、

そういうの全く向いてない。

 

ホテルのラウンジでティータイムより

家のリビングでまったりゆっくり

コーヒーや紅茶入れて、ぼーっとしたい。

その方が楽。

 

ブランドでかためて、

上品にふるまう時は戦闘モード。

キャラに合わないこと甚だしい。

靴も履き心地が一番。zappa大好き♡

もし高い靴を買うなら、

使い倒して1回の使用単価を下げたい!←小市民

 

こんな私なので、

埃まみれの箱の中から

数回履かれただけの高い靴が出てくると

クラクラいらいら。

 

とにかく物凄い勢いで、

モノの仕分けと廃棄に追われています。

床置きされてた服の箱、段ボール、ゴミ袋を片付けて、ようやく床が見えるようになったウォーキングクローゼットな一角。靴は別部屋の壁面棚にびっしり。

 

ちょっと着物査定額がショックすぎて

祖父が私に遺してくれたお金で、"私の"着物を勝手に購入した母。あんたのなんだからあんたのお金で買うのは当たり前って理屈、許すまじ。

なんか理路整然と書けないんですが💧

 

毎日が戦場の春休み。

 

実家遺品整理編。
次回は、「モノより思い出」

 

この家の引き渡しは6月末。
まだまだ遺品整理は続きます。

 

 

 

 

 

高校生になっても大学生になっても、

イベントの度に

お手伝いに来てくれる子たちがいます。

 

今は店舗の教室ですが、

自宅教室の頃から来ている子たち。
 

彼らにとって、

多分うちはセカンドハウス。

 

可愛い小学生の頃から教え始めて

時にはレッスン中に叱って泣かせたり

廊下に放り出したり、

おかんより怖いと言われながらも

思春期を乗り越えた彼ら。

 

今の私は親戚のおばちゃんか、

おばあちゃんの立ち位置。

でも友達扱いもしてくれて、ちょっと嬉しい♡

 

卒業生たちは、

お互いが家族みたいな感覚になっていて

卒業した今も、学年問わず、

とにかく仲が良いです。

 

今のクラスの子どもたちも、

クラスごとに本当に仲良しで、

互いの得意をリスペクトし合ってて、

レッスン中も讃えあったり励ましあったり。

 

その様子だけでも微笑ましいのに、

私のどんくさいとこや足りないところまで

自分たちで考えながらサポートしてくれて

私もそんな彼らを誇りに思いつつ、

とても頼りにしています♡

 

「Mayには子どもがいないからね。

 うちに来ている間は、

 みーんなうちの子だと思ってる!

 大好きだよー♡」


ことあるごとに言葉で伝えて、

それはちゃんと伝わってる

と、勝手に思っています(//∇//)

 

こんな本音を書いちゃうのは

講師として どうかとも思うのですが…

 

うちの生徒さんたち、みなさん優秀で

確かに英検も中学のうちに2級とか

さくさくとってくれちゃっていますが

うちは、英語 "塾" のつもりはないのです。

 

英語は、

私が子どもたちに会う手段。

英語を媒介にして

子どもを持てなかった私が、

子どもたちが育っていく

成長していく姿が見たくて

開いている教室です。

 

うちに来たことで、

より高く飛べる

世界に飛び出していける

そのための自信やスキルを身につける。

そんな場でありたいと願っています。

 

こんな教室でよければ、

ぜひ一度覗いて見てください♡


一緒にお子さんの成長を見守らせていただけたら、

こんなに嬉しいことはありません。

10年経ちました。

 

最初は、

何でこの子はわからないんだろう…

と思うことが多くて。

 

ECCのティーチャーズマニュアルってすごいんです。
すんごい分厚くて、

1レッスンごとにすべきこと、セリフから何から全部書いてある。

 

始めたばかりの頃、

そのマニュアルを完コピするために、

1レッスンの準備に4時間かかってました。

アホだ…

でも、それでは理解できない子もいるんですね。

 

何とかしたくて、

あちこち勉強会に参加したり、

ワークショップに出かけたり、

英語指導関係の資格とってみたり、

最後は発達障害の指導資格までとっちゃったり。

 

とにかく試行錯誤ばかりしてきた気がします。

 

でもそうする中で、

素敵な出会いが、たくさんあって。

 

「子どもがわからない時は先生の責任」

 

奇しくもまったく違う場所で違う時に、

同じことを言われました。

そしてその瞬間、すとん、と

何か落ちてきた気がしました。

 

わからないのは生徒のせいではなくて、

私の問題なんだと。

 

仲田利津子先生

山下桂世子先生

 

ともに、

ECCとは異なる別のメソッドの先生ですが

教えてくださった志、心構えは同じ。

何か子どもたちに伝わる伝え方があるはずだと。

 

ECCのレッスンではマニュアルがあるので、

そこから外れた指導はできません。

 

でも、どこをどう”強調するか”は、

講師のできる工夫の範囲内。
 

どうやって印象に残すか、

流れていかないように脳にインパクト残すか。

その工夫が、

レッスンの楽しさだったり、

やりがいだったり。

 

そうやって、毎日のレッスンに臨んでいます。

私の初めての生徒のYくん。

 

当時、年長さんだった彼も、

中学3年生になりました。

 

彼の体験レッスンの時は、

まだ私は研修の最中。

担当スタッフさんが心配して同席してくれました。

 

体験レッスン中、

園児さんの彼は一言も発することなく

私ひとりがテンション高めでレッスン終了。

 

一言も引き出せないとか、

自分の才能のなさに愕然としましたが

 

「充分です、幼児さんにはよくあることですから。先生10年選手みたいでしたね、もう同席も必要ないです」

 

頭の中に????が乱れ飛びましたが、

担当さんのお墨付きもget。

Yくんもそのまま入学してくれたのでした。

 

1ヶ月後に言葉を発してくれた時には、

私は半泣き(笑)

今はよくしゃべる子なんですがね…。

 

そして体験レッスンの時に

お母さんにだっこされていた赤ちゃんも

今は小学校4年生!

元気に通ってきてくれています。

家でごろごろゲーム三昧していたある日。

 

母の友人で

塾を経営しているおばさまから

お仕事のオファーが。

 

「ともちゃん、うちの生徒たちに英語の発音みてあげてくれる?」

 

発音ですか?

私でいいんやろか。

日常会話くらいならなんとかなるけど、

英語教えた経験なんてありません。

 

「いいのいいの、専門で発音見てくれる人がいるって保護者に言えればそれていいから」

 

釈然としないけど、とりあえずは週2回、

お手伝いに行くことに。

当時の私ときたら、正直子ども好きじゃない…

というか最初は見るのも辛いというか何というか。

 

自分の子なら可愛いかもしれないけど、他人のお子さん。

 

「何なの、この いうこと聞かない謎のイキモノは!」

 

条件反射的ににこにこしてはいたものの、

めんどくさいなぁ、と正直思ってた !

 

それが毎週通っていると、

なついてくれる子もいて、

そうすると可愛くて、

だんだんみんな可愛くなってきて、

本気で発音指導始めてしまったわけです。

家でも自分で教え方の勉強始めたりして。

と、そこでストップがかかりました。

 

本気でやらなくていいらしい…

 

「いいのよ、適当で」

 

「………」

 

私の人生のターニングポイントは、

たいてい母が絡んでる。

 

この時も、釈然としない気持ちを伝えたら

 

「じゃあECCでもやってみたら? 自分で教えたらいいじゃない」

 

そっか、自分で教えればいいんだ…

 

ネットで検索、

ホームティーチャー申込問い合わせボタンを押して30分

いきなり電話がきて、翌日面接と試験だなんて

どんなスピード感?

 

自宅近くの外語学院で面接と試験を経て、

そのまま採用されたのは、2012年の年の瀬。

 

「通常9月から研修に入るのですが、奥さんの場合、今から手続きしますので研修は2月スタートとなります。半年分を2ヶ月で習得していただくので大変ですけど、がんばりましょう!」

 

担当さん、とても良い方でしたが、

この2ヶ月は今思い出しても目眩がするくらいの学習量…

 

研修→自宅で勉強→研修→自宅で勉強の無限ループ。

 

毎日深夜まで勉強したのは生まれて始めてだったかも知れません。

職場に私と同じく、

総合職からスタッフで復帰した友人もいて

彼女は2人目不妊だったんだけど

情報交換したり、

いいと言われるお医者さんに一緒に通って

ホルモン療法したり。


あまり楽しい思い出ではないので、

ここらへんもざっくり割愛しますが、

40過ぎて子どもを諦めるにいたり、

一度お仕事も退職することにしました。

 

ぶっちゃけると、

子どもをあきらめたことで

何か糸が切れてしまい、

気力を失って、

引きこもり


ふと始めたオンラインゲームにはまり、

昼夜逆転のゲーム三昧の暗黒の一年間に突入。

 

それはそれで、

ゲーム内でも友人に恵まれて、

パソコンのお師匠や

生涯のお友達と思える親友に出会えたり

得るものはあったのだけど。

 

この時期の私について、オットは

 

「うん、一年くらいは仕方ないと思ってた、だって君は立ち直るの知ってたから」

 

よくぞこんな女と結婚してくれました。

今思い出しても泣ける…。°(°´ᯅ`°)°。

とにかく何が向いてないって、

主婦が一番むいてない人間なのは間違いない。

 

結婚しても午前様な日々に変わりはなく

オットがしょんぼりしているのを見るのも辛くて

泣く泣く仕事を辞めたものの、

子どももいない。


朝から晩まで何をしたらいいのかわからない。

 

DIYで家具作ってみたり、

黒歴史なキラキラブログ書いてみたり、

ショッピング三昧してみたり、

主婦の友をバイブルにして主婦っぽいことしてみたり…

 

ダメでした。

私には半年が限界でした、

専業主婦を務めるなんて。

 

半年で早々に音を上げて、

元いた会社の事務職さんの補助

スタッフ面接を受けることに。

 

「総合職で勤めていたのに事務職のアシスタントでいいの?」

 

業務部長は心配そうに聞いてくれたけど、

 

「いいんです! 専業主婦向いてませんでした!  働く場所ください!」

 

と答えたら、大笑いされたのをくっきり覚えています。

 

人生二度目のお勤め。

事務職補助のスタッフとしての10年も

思えば、学ばせてもらうことだらけでした。

会社って、組織って、

人を学ばせ、成長させてくれる場でもある。

      

どんな時でも手を止めて相手の仕事優先、

いつも笑顔でサポートに徹すること。

 

総合職時代、

どれだけ事務職のお姉さんたちに

知らないところで助けられていたのか

思い知りました…

それまでの仕事と全く違うことの連続。

 

外回り、資格試験講師をやっていたのが、

一日中、事務所で

事務処理

会議準備

役員の手土産手配

お客様へのお茶出し

その他もろもろ。


Wordの差し込み印刷や、

エクセルのマクロなんて

事務のお姉さんに丸投げしてきて

使えない職場のおじさんも同然だった私を

一から仕込んでくれて、

退職する頃には、パソコン関係は

まず私に回ってくるところまで

育ててもらいました。

この頃の知識は、今でも役に立っています。

 

そして気がつけば10年。

子どもできなかったんですよね。

母に強引に決められて、

渋々出かけるお見合いは

いつものことでしたが、

 

オットとのお見合い日前日、

私は福岡でゲーム仲間との

オフ会に興じておりました。

 

あげくに盛り上がって終電を逃し、

福岡から始発で帰宅するはめに…

 

超寝不足の頭で考えることといえば

「はよ帰って寝たい!」

だけ。

 

だから、

待ち合わせ場所でオットと目が合った瞬間

ヤバいと思いました。

 

人懐っこい大型犬よろしく、

嬉しそうに見えないしっぽを 

ぶんぶん振り回すオット。

 

なんで?

 

私、別に美人ちゃうし。

 

この人、かなり変わってる…

変なひとだ!と確信。

 

そして会って2回目で結婚することに。
自由を満喫していた当日の私には、

”結婚” 

なんて一番遠い言葉でしたが、

せざるを得なかった…

 

all or nothing

 

この人より私のことを好きになってくれる変わり者は

今後きっと現れない確信だけはありました。

 

これを逃せば後はない。

悲壮な覚悟でプロポーズ受諾。

 

母との5年に及ぶバトルは

29才の春に終了を迎えました。

 

とはいえ、

家を出て、ようやく得た自由に

未練たらたらの私が

重度のマリッジブルーから食べ物受け付けなくなり、

数ヶ月で10kg以上の体重激減。

経口点滴を飲みながら仕事をこなし、

無事に式の当日を迎えたのもまた、別の話。

(*゚▽゚*)