袴田事件の再審で「無罪判決」を言い渡した静岡地裁。

事件発生から58年。判決を言い渡した裁判長は58歳。事の真偽はともかくとして、これだけの長い年月がかかっている事は、非常に重い事だろう。

 

今回、証拠とされた「1年以上後に発見された衣服」について「証拠の捏造」と断定したのは、個人的には聊か「踏み込み過ぎ」のようにも感じる。そりゃ、捜査関係者も検察も「嘘を捏造」と言われれば「ひっこみがつかなくなる」という事もある訳で、また、確かに「捜査に不備」があった事も事実で、辻褄の合わない事も多い事件。なので「再審」となった訳で、半世紀以上前の事案で「新たな証拠」が出てくるはずもなく、出ている証拠とされるものを「最新の科学鑑定」でやっても、正直「明確なもの」が出てくるははずもない。「サイズが合わない」とされたものがあったり、どうにも「おかしい?」と感じるものは、素人目にもある訳で・・・

 

再審を言い渡した、当時の裁判長は「もう安心させてあげたい」と言っていたが、それが本心でしょう。58年も疑われ・拘束されてきたものは、取り返しはつかない。反面で、被害者が4人いるという現実もある訳で、捜査関係者としては「なんとか犯人検挙」と言うのが本心だろう。難しい事案だ。

 

オレが思うに、確かに被害者が4人いて、犯人は間違いなくいる。しかし、その犯人を58年に渡り「証明できなかった」という事実を、捜査関係者はどう感じているのだろうか? 確定してないという前提で、袴田さんが犯人でなかった場合、真犯人はほぼ捕まらないという現実に、捜査関係者・検察は、どう対処するのだろうか?

 

被害者感情も考える必要は間違いなくあるが、もし仮に「冤罪」だったとしたら、その当事者・親族・家族の心情も、同じように考える必要もあるだろう。

 

冤罪は確実に起こっている。それもまた現実として受け入れる必要があるだろう。真犯人がいた場合、警察はその人を野放しにしてきた事実もあるだろう。そして「もう捕まえるのは無理」という事もあるだろう。

サボっていたとは言わないが、冤罪の温床は「早期解決を焦る」であったり「杜撰な捜査」であったり、警察官も「人間」である以上、間違いを「起こしても当たり前」という事もある。

 

まあ、極めて難しい問題だが、オレはやっぱり「確証が出てない以上」「推定無罪」であり、執拗に「裁判を繰り返す」事に、あまり意味を感じない。失われた四半世紀。その補償は絶対に出来ないのだから。

仮に「真犯人」であった場合でも、裁判で負ける程度の証拠しか上げられなかったという事で、許すわけじゃないが「しょうがない」という事。微罪でも交通違反でも脱税でも・・・比較しちゃいけないが「見つからなければ」という事は、世の中に山ほどある。

 

先日の「カスハラ」映像でも、「煽り運転」映像でも、「あれで逮捕も立件されないの?」ってのは結構ある。

要は「今の法律と判例に照らし合わせて」という事が、日本の法体系・法治国家の基本であるなら、今回の「検察の拘り方」には、聊か疑問が残るとオレは感じ「悔しければ絶対的証拠をあげろ」とも思うし、反面で裁判長がもし仮に「証拠は捏造」と断定しなければ、検察も諦めたか?と考えれば、今回の判決は「非常に重い」と感じるが、如何なものか。

 

こういう事案の裁判長は、難しい判断を迫られる訳で・・・

 

 

「誰が勝ったほうが自分の利益」・・・欲望むき出しで行われる総裁選なんてのは・・・

やってる本人は大変でしょうが・・・所詮「ぬるま湯」に見えますね。

 

同じ国家組織で、しかも「三権の最高組織」であるにも関わらず。。。