こんにちは。
こころカウンセラーのつばさです。

しばらく更新していないにもかかわらず、
時々遊びに来てくださる皆さま、
ありがとうございます。

猛暑に加え、台風の上陸で、
不安定な天候の中、
いかがおすごしでしょうか。


今日は、

我が家の話をさせてください。

先週の土曜日の朝、
16年新潟の実家で飼っていた愛犬Tちゃんが
天に召されました。

その前々日まで元気にしていましたが、
体調が急変し、

動物病院で息を引き取りました。
両親が駆け付けましたが、
召される時には間に合いませんでした。

私達家族がTちゃんと出逢ったのは、
弟が亡くなった翌年でした。
以来、召される日までの16年、
毎日、家族に「かわいい」と言われながら、
たくさんの愛と愛しい思い出を残して

旅立って行きました。

年々、歳をとるにつれ、
近づいてくる別れを

覚悟しないといけないとわかっていても、
考えるだけで切なくて、

「Tちゃん、どうかゆっくり歳をとってね。

 一日でも長く生きていてね。」

と願っていました。

私が最後に会うことができたのは

召される1週間前でしたが、
Tちゃんの顔、身体つき、

日常の様子を見ながら、

「この猛暑の夏を

 無事に越えられるかしら・・・」

と内心不安でした。

いつかは人間よりも早くお別れが来る。
犬だから仕方ないんだと

覚悟してきましたが、

実際の喪失感や悲しみは想像以上でした。

そして、今、

弟が急逝した直後の日々を

振り返っています。

今改めて思うのは、

悲しみの大きさ

=存在の大きさ

=愛の大きさ

だということです。

そして、想像以上に、

「悲しみ」というのはエネルギーを使い、
悲しんでいる時に普段の生活を送るのは
何倍、何十倍の

エネルギーが必要だということです。
ふとぼんやりしたり、

涙が出てきたりして、
いつものような力が湧いてきません。

それでも、この「悲しみ」から逃げないで、
今は思う存分そこにとどまろうと

家族と話しています。
かつて弟の時にそうであったように。

Tちゃんが亡くなる前に、テレビで、
養老孟司さんが 

愛猫を亡くされた後を生きる日々を
静かに映し出す番組が放映されていて、
両親は熱心に観ていました。
いつかは我が身に訪れる日々とを
重ね合わせていたのかもしれません。

そして、私も、
今年の春の母の誕生日に、
Tちゃんと同じ犬種の絵画を、
プレゼントしていました。

絵画を母にプレゼントするのは初めてのことです。

 


 絵は偶然の出合いで、
今年初めて見つけたものでした。

(我が家も、Tちゃんも、

ヴィトンのスーツケースが全く似合いませんが、

この絵の子の顔ととても似ていたので

思わず買ってしまいました。)
それも何かの予兆だったのかもしれません。

以前から
『ペットロス』
ということばをずっと耳にしてきましたが、
あまりに軽く響きます。

Tちゃんの存在は、
人間とは比べられない異質のもので、
家族の一人を失ったのと

全く変わらない喪失感です。

ただ人間と一つ大きく違うのは、町中で、

同じ種類の子に遭遇してしまうということです。
 

実際に、

同じ種類の子を見かけた時には、

抑えていたものが爆発して、

泣き崩れてしまいました。

幸い、 

「私も同じ経験したことがあります」

と飼い主さんが優しく寄り添ってくれて、

ティッシュを差し出してくれました。
きっとそんなことが

これからも起こるんだと思います。

今、

この記事を読んでおられる方の中には、
同じ体験をされている方も

いらっしゃるでしょう。

その「悲しみ」の大きさは、
その子との距離、思い出、

看取るまでの時間や様子によって、
全く違うと思いますが、
過ごした時間が長ければ長いほど、
痛みを感じておられることと思います。

どうかその今の自然な気持ちのままで、
思い出したり、泣いたり、
時には蓋を閉じたりしてお過ごしください。

私も家族もきっとそうしていくと思います。

そして、かつて息子を亡くした母が、
悲しみのあまりその直後に肺を患い、
難病にかかってしまいました。
想像以上に、「悲しみ」が

身体に与える影響は大きいのです。


ですので、

どうぞいつも以上に休息をとり、
ご自身の身体を

いたわってあげてくださいね。

 

Tちゃん、

出会ってくれて

私たちの家族になってくれて

ありがとう。

 

たくさんの喜びと笑顔を

ありがとう。

 

私たちは

あなたに会えて

本当に幸せでした。

 

 


今日も
最後まで読んでくださって

ありがとうございます。

越乃 つばさ