『就職がこわい』 ①
『就職がこわい』 香山リカ 著 (講談社)
非常に面白い本です。著者は精神科医だけあって分析や洞察が素晴らしいと思います。一読をお薦めします。但し、対象がいわゆる「無業者」や「最近の若者」に限定されているため、広範囲の分析は期待できません。
第一章 就職と不安
・無業という進路 無業=進路を決めかねている高卒や大卒。フリーターや派遣社員も含まれる
・就職を諦めるまでの四段階
第一段階 高卒で就職できず、大学進学。大学にも馴染めず就職もしない
第二段階 就職活動の初期段階でキャリアデザインが描けず活動しない
第三段階 就職活動中のリタイア。
第四段階 就活中盤。周囲の友人が内定を受けて取り残された感でのリタイア
「諦め」というよりは「自らの選択である」ということに共通点
・目に見えない力によってリタイア?
つまり 「真にやりたい理想的な仕事」が見つからず(見つかるはず無い)諦める=完璧主義「やるなら完璧にやりたい、それができないのならやらないほうがまし」という考え=無気力で意欲が極端に低いのに、おかしな緊張感が強くて気楽ではない
無気力な生活、夢の無い生活をしているが、そういう自分が嫌という自己嫌悪に陥っている
・若者が抱く「不安」の定義
従来とは違う「不安」・・いわゆる本当の不安に対する「不安」。仮に「はっきりしない、不確定であることに対する不安」と定義。しかしそれが若者の「不安」を言い表わしているだろうか。
・会社という戦場
『ひきこもりセキラララ』(草思社)諸星ノア(=三十代ひきこもりを自認)の例
・自分がどうなるかわからない という不安である。
周りどころか、自分が一番信じられない。
一寸先は闇、就職・進学したところでどうなるかわからない。自分が何をやりたいか分からない、という不安。一体自分が何をしでかすかわからないという不安=「解離性障害」の兆候
・インターンシップで増す不安
「自分にはこんなことができるのかと現実的に考えてみたら、不安になってきた」
・ハッキリとした不安・・・失業、競争激化、技術革新の脅威(ところで近年では技術革新が驚異でなく脅威に
なってしまった)
曖昧な不安・・・社会的な不確かさ? 個人的な不確かさ=何をしていいのかわからない
(思うに外的な基準、つまり大手志向、年功序列といった社会基準 が崩れ、内的な基準、いわゆる主体性みたいなものに 人生の選択基準を求めようとするが、それが判然としないことに対する不安である。そしてそのことを判然とさせるのは用意ならざることである。なぜなら経験上で言うことだが、主体性の形成においても外的なモデル、具体的な人物像を参考に、あるいは尊敬して、真似て形成していくものと考えられるからだ。)
何をしていいか分からない、は学生だけでない。脱サラして起業しようとする人でも「何をする会社にしていいかわからない」「何をするか、とりあえず社長になってから決める」ということがある。(つまり、最初から主体性などというもの、独立欲というものが希薄なのである。)
つづく
卒論 サルトル『存在と無』
卒論の分厚い哲学書『存在と無』の読書ノートを交えながら一般書を気分転換にかいつまんでいくという大好評のこの企画。ついでに、多様な読書に実存主義的見地を一貫してしまおうというおまけつきやで。
サルトル前期の年譜
1936年 (31歳)『想像力』を発表、短編『エロストラート』をかく。
1937年 『自我の超越』、短編『壁』を発表。
1938年 かの有名な『嘔吐』を発刊。また、『部屋』『フォークナー論』『ジョン=ドス=パソス論』『一指導者の
幼年時代』『自由への道』をかきはじめる。すげ~な
1939年 『フッサールの現象学の根本思想』『フランソワ=モーリアックと自由』『フォークナーにおける時間
性』発表。 ⇒動員され砲兵隊としてアルザスへ駐屯。
1940年 『ジャン=ジュロドゥー氏とアリストテレス』発表。捕虜になる。あはは
1941年 三月、釈放されパリの戻る。戯曲『蠅』をかく。
1942年 『自由への道』第一部「分別ざかり」脱稿
1943年 やっと大著『存在と無』を発刊。『出口なし』も発表。カミュを知り『異邦人』への解説を書く。
この年は我が卒論の副題「他者論」としても大変重要
『存在と無』の流れ
緒論 存在の探求 ⇒ 第一部 無の問題 ⇒ 第二部 対自存在 ⇒ 第三部 対他存在
⇒ 「持つ」「為す」「ある」 ⇒ 結論 となる。
Ⅰ 現象という概念
現象学的な観点から存在の探求は進められていく。
「現象の背後に隠されている本体があるというような考えは、現代ではもはや通用しない。」
「現象と本質の二元論は成立しない。」
Ⅱ 存在現象と現象の存在
存在現象=存在は、例えば倦怠とか吐き気というような仕方で、われわれのまえにあらわされる、それ。
・存在者を超え存在現象へ向かうこと=存在者を超えて存在者の存在へ向かうこと なのかな?
「存在者は現象である。存在者はそれ自体を示すのであって、その存在を示すのではない。」
とサルトルは言う。(ここんとこハイデガー哲学の基本的理解がないと読めません)
「したがって、諸現象の存在は、存在現象に還元されえない。」
Ⅲ 反省以前的なコギトと知覚の存在
「あらゆる意識は、常に何ものかについての意識である。」byフッサール
「哲学の第一歩は、意識から事物を追放し、意識と世界との真の関係、すなわち意識は世界についての定立的な意識であるという関係を、うちたてるところにある。あらゆる意識は、それが一つの対象に到達するために自己を超越するという意味で定立的なのであり、意識はまさにかかる定立そのものにつきる。」
この世界についての定立的な意識conscience positionnelle du monde は何を示唆するんだろう。
(次回に続く・・・)
