母が心臓を患い大學病院に入院した。
2023年初冬の話だ。
当時、齢74歳の母だった。

母が手術を受ける前、ベッドの上で腰の痛みを訴えていた。
面会時に聞いていたので母の主治医にその話をした。
主治医はその医局の部長だった。

翌日、母の面会に行くと主治医から
「心臓が悪くて腰が痛くなることはない。手術を終えたら整形外科へ」
と言われたと母は僕に話した。
僕は医學的知識がない為、
『そうなのか』
とだけ思った。

その面会中に廊下を人の列が歩くのを室内から見た。皆、白衣を着ているから医療関係者だろうと察しはついた。

列が部屋の前を通り過ぎようとした時、列の歩みが止まった。まもなく列の先頭者が面会中の部屋に入ってきた。
そして母に話しかけた。
「お具合はいかがですか?」
母に話しかけたのは初老と言えば初老の男性だった。綺麗な白髪だったからそれなりの年齢だと思う。しかし顔の肌艶が良くシワもシミも無いように見える。声もよく通っていた。正直に言って年齢不詳といった感じ。
その御仁には余裕が見えた。僕にはそのように見えた。自然体の所作に余裕を感じた。
母はベッドに寝たまま御仁の問いに答えた。
「腰が痛くて。心臓を患って入院したのですが、腰が痛くて」
御仁は
「心臓ですか。腰が痛いのですね?」
と再び母に問うた。
母は
「はい」
とだけ答えた。
「その事は担当の先生にはお話しておられますか?」
と御仁は三度問うた。
僕が
「主治医の先生には息子の僕からお伝えしました。心臓とは関係が無いから整形外科へと」
と答えた。
御仁は僕を見て返答に頷いた。
そして
「情報が欲しい」
と傍の白衣を着た若い男性に言った。
御仁は
「ちょっとカルテを見させて貰いますね。宜しいでしょうか?」
と母と僕を交互に見て訊いた。
母は
「はい」
と答えた。
僕は御仁が何者なのか分からなかったが、これだけ人がいる中で犯罪行為は無いなと思った。
そして御仁に強引さが一切無かったのと、母本人が目の前で承諾したのに息子の僕一人がそれを否定するのも嫌だなと瞬時に思った。
僕は首を一回縦に下ろしてから
「どうぞ」
と回答した。

中年女性がノートパソコンとA3の封筒を持ってきて御仁に恭しく手渡した。きっと看護師だろう。
御仁は立ったままそれらを開いてほんの15秒くらい眺めて口を開いた。
「〇〇先生は?」
と白衣姿の傍の男性に訊いた。
〇〇先生とは母の主治医の名前だ。珍しい名前だからほぼ間違いない。
たまたまその主治医が近くにいたらしく直ぐに入室した。
御仁が主治医に話す。
「腰の痛みは心臓が原因ですから、こちらで対応を。確かにこの腰痛は教科書には載っていない。だけど、私も同じ病氣の経験者だから分かる。これは整形の話ではない。後ほど詳しく。ありがとう。仕事へ戻ってください」
主治医は驚いた顔を隠すように深くお辞儀をした。御仁と僕らに。そして早足に部屋を去って行った。

御仁はノートパソコンなどを傍の男性に手渡すと母の目線に合わすようにしゃがんで話し出した。
「医學の世界は日進月歩ですが懸命に研究を重ねても今なお分からない事だらけ。私なんかは頭が悪いものですから勉強をしてもしても時間が足りないのですね」
と言って肌艶の良い顔が笑顔になった。この時ようやく御仁の顔にシワを認めた。
そして御仁は話を続けた。
「私たちは基本的には教科書から勉強します。研究してくれた結果をいわゆる教科書から學ぶのですね。ただ先程も申し上げましたように研究をすれどもすれども分からない事だらけの世界なのです。それ程、人体というのは未知と神秘に溢れています。教科書に人体の全てが載っている訳ではないのです。なので長年この世界にいても分からない事は沢山あるものです。斉藤さんの腰の痛みは実は教科書には載っていません。しかしながら、たまたま私も同じ病氣の経験者だったので私には斉藤さんの痛みが分かります」
母は御仁の話を黙って聞いている。御仁の目、一点を見つめ逸らす事はない。
「どんなにお金をかけた研究もどんなに時間をかけた勉強も、経験する事には敵わないと私は個人的に思っております。先程、斉藤さんの情報を拝見して私より人生の先輩だと知りました。私のような若輩者が偉そうに言えませんが、この先の人生も、どうぞ未知を先行く先駆者としてご活躍下さいね」
と言って御仁はおもむろに立ち上がり、母と僕に安心感のある笑顔で会釈をして場を後にした。
後ろをつく人たちも僕らに会釈をしてから退室していった。

ひとしきり人がいなくなった直ぐ後に若い男性の看護師が母のベッドに來た。面会の時にいつも会うので僕にとっても顔見知りだ。
「斉藤さん。レアでしたね」
とその若い男性看護師が嬉々とした笑顔で母に言った。
“はてな“という表情を母は浮かべている。
看護師は続けた。
「名誉教授の巡回は不定期で患者さんに直接話しかけるのは珍しいかなぁ。忙しい方ですから」

「名誉教授って今の方ですか?」
と僕が訊いた。
「ええそうです。定期的な巡回日程は決まっていて、本來その通りに巡回するべきものなのですが、かなりお忙しい方で時間のある時に回る感じになっているのが正直なところなんです。国際的に著名な先生ですよ。本も出しています。たまにNHKに出て解説したり」
「へぇ〜」
と僕が相槌を入れる。
「名誉教授って確かに実績がお有りの方ですが、僕から見てて人徳もある方かなぁ。両方あるかぁ。兼ね備えてる感じの方だなぁ」
と噛み締めるように言って納得したように首を縦に何度か振って頷いた。

ほんの5分足らずの一連の出來事だった。
まるで突風でも過ぎ去ったかのように感じた。
でもその突風は春風のように暖かく、そして生命力に満ちたようなものを感じた。それでいてとても柔らかだ。
『春一番』という言葉が僕の心に浮かんだ。

母は手術を終え2024年の夏の今、とても元氣に暮らしている。一つ年齢を重ね75歳だ。もちろん退院して自宅で生活している。
入院時の腰の痛みは名誉教授の巡回後にピタリと止んだ。
「やっぱり偉い先生はすごい」
と当時の母が感動していたのを今も想い出す。

偉い先生という言葉。
“偉い“の意味の取り方によって解釈は変わってくるだろう。
その先生が名誉教授と分かるまで僕は勝手に“御仁“と呼んでいた。心の中で。
“偉い先生“を“仁のある医者“とするのなら、僕も“偉い先生”を素晴らしいと思う。
医學を人一倍學び、仁という人格的愛び(まなび)もおさめ患者を健康に生かしている。
医者としての姿勢は“偉くなっても“謙虚なままだ。

仁とは愛と換言して良いように僕は思う。
➖愛ある人は人を生かすのだな➖
そんな風に“春一番“に吹かれて思った。

“春一番”は僕の心にも人としての愛を芽吹かせたように思う。
愛の人は“春一番“さえ吹かせられるのだな、とそんな事も思う。

暖かな風となって生命を芽吹かせる。
愛を生み出す“春一番“。

そんな人になりたいな、と思い2023年の暮れから僕はブログを始めた。
テーマは愛だ。
あの時のような“春一番“を吹かせられるブログでありたい。そして僕自身、愛の人でありたいという願いと誓いを込めて。

愛は一瞬の風だけで人の心に愛を芽吹かす。
僕のブログ記事との一瞬の出会い。
僕という人間との一瞬の出逢い。
その瞬間だけで愛を循環させられるようなものを人生を通して描いていきたい。


➖愛の経験として関われたなら➖と思いながら。


《了》

祭統 白宇
SHIR㊉W


※本記事はnote創作大賞2024・エッセイ部門
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