神々の、饗宴 | President-ist

神々の、饗宴

ポストバブル期におけるアニメの最高傑作と言えば、間違いなく、「新世紀エヴァンゲリオン」であろう(若い世代はもしかしたら「ああ、パチンコのあれね」みたいな認識なのかもしれないが)。映画が公開された1995年と言えば、個人としても社会としても目標を失い、新たなパラダイムの構築が求められていた時代である。今更エヴァンゲリオンを評論しても仕方ないので、このアニメに対する考察はひとまず置くが、普通のエンターテイメントとは世界観のレベルが違う。


僕と当社の技術最高責任者のSは、なぜか今更エヴァンゲリオンにはまってしまい、深夜のオフィスで二人でストイックに鑑賞を続けている。静まり返るオフィスで男2人がアニメ鑑賞。はっきり言ってキモイと言われても仕方ないのである。


この映画、もちろん、映画の中身も素晴らしいのだが、随所に挿入される音楽のセンスも素晴らしい。しかし、中でも特筆すべきは、OPテーマの『残酷な天使のテーゼ』であろう。


特に、この曲に対するSのハマリっぷりは半端ではない。なんたって、仕事中も常にテーマ曲である『残酷な天使のテーゼ 』を口ずさみながら仕事をしているんだから。この曲は僕も好きだが、さすがに仕事中の「口笛無限リピート攻撃」はやめてほしいものだ(笑)。


その『残酷な天使のテーゼ』を歌う高橋洋子と、神田昌典先生が、12日に新宿の紀伊国屋ホールで対談をなされた。ちなみに、神田大先生はistでは神様と崇められており、彼の提唱するマーケティングの手法や、宇宙の流れに沿った生き方は、僕や取締役のTに深い洞察を与えてくれている。


istにおける「歌の世界の神様」と「マーケティングの神様」のトークセッション。僕たちにとっては、まさに「神々の饗宴」とも言うべき、垂涎もののキャスティングなのである。


テーマは、「社会起業」。特に、精神障害者の方に焦点を当てて、彼らを巻き込みながら何ができるか、という内容であった。そのテーマを軸にセッションの内容は多岐にわたったのであるが、特に印象深かったのが、彼らが異口同音に「障害者からの学び」を強調していたこと。彼らと向き合うことで、新しい感性と出会うことができ、心をいやされ、結果的には日本社会が失ってきた明るさや安らぎを得ることができる、と言うのである。


実は、対象は違えど、カンボジアに対して教育支援活動を行っていく中で、僕も同じことを感じている。ボランティアと聞くと、どうしても「施し」「やってやっている」というイメージを持つ人もいるだろう。とんでもないことだ。

障害者の場合は、判断力であったり身体的自由が欠如している。また、カンボジアには先進国的なモノの豊かさは無い。カテゴリはまったく違えど、私たちから見れば、多くのモノが欠如している状況であろう。しかし、欠乏は精神を磨く。彼らは、私たちがとうの昔に失ってしまった柔らかな心を持っているのだ。それに触れたとき、私たちは普段は気付かない大きな発見をすることになるのである。


私がカンボジアの方々と向き合うことで気づいた感情をあえて言葉にすれば、清らかさや希望といった単語が近いだろう。が、ちょっと違う。ともかく、一度体験しなければわからない感情である。


私たちは、カンボジアを支援していく立場だけど、これは学びの相互契約でもあると思う。正直なところ、まだまだカンボジアに対する支援に本格的にアサインできていない状況だが、真面目に、取り組んでいきたいと決意を新たにした夜であった。


天才は時代を読むのが上手い。神田さんは、ボランティアや社会貢献が21世紀初頭の大きなうねり、社会現象になってくる、と前々から予言していた。また、1995年当時と同じく、閉塞した空気がただよう2009年。まさに新たなエヴァンゲリオンが必要とされるこの時代に、(昨年に引き続き)エヴァンゲリオンの新劇場版が公開されるが、これも天才的なタイミングであると言える。映画を作るには、数年の期間が必要であるから、監督の庵野はこの時代の流れを数年前から読み切っていたということだ。そして、高橋洋子は今年新たな「残酷な天使のテーゼ」を歌う。


僕も、自らの意思で社会を切り開いていくポジションにある人間として、時代を読む感性を磨いていこう。



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