人生のターニングポイント①〜突然の介護と育児のダブルケアがスタート 幸せからの急降下〜 | マイワールドを生きよう!今だよ今♡Now(ナウ)のブログ♡

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自分の世界は自分でつくる☆
本来の自分を知る四柱推命鑑定・セッションを行いながら、星や大好きな旅・日常の出来事を通して、気づきや発見・変化を綴っています♪

他人の顔色ばかりを気にするよりも「私が楽しい・心地いい」を大切にもっと自分に夢中になろう♪

今日から私の人生においての大きな

ターニングポイントになった3年前を

振り返りたいと思います。



いまでは3年前とは思えないほど

随分前に感じる。


それはきっと自分が大きく変化したから。



もし約2年前に勇気をだして自分の環境を

変えてなければ今の自分はいないと思うと

人生は本当にタイミングとご縁だなと感じる。

 


あの時の延長線にいたら

妊娠前の自分の良さも段々と影をひそみ

私らしさも忘れ、自己犠牲と罪悪感で

毎日を頑張り続け



やっぱり私は悲劇のヒロインなのだと

環境や周りのせいにし、一人で問題を抱え

私が頑張ればいいんだ…やっぱり私は変われない

そう苦しんでいたかもしれない…



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このブログを休んでいた3年前

何があったのかを振り返ってみる。



2021年2月に40代で息子を出産。

妊娠中は切迫早産とかはあったけれど

それ以外は順調な妊娠生活だったし

不妊治療でもできず諦めてからの

自然妊娠だったので、奇跡を感じた日々だった。



とはいえ、出産は『ジェットコースターお産』と

カルテに書かれたほどのアップダウンに

ガッツリ体力をもっていかれた。



産後は、はじめての慣れない子育てに

不安と緊張の日々。

可愛いと感じる以上に、壊れてしまわないか

不安と戸惑いのくり返しだった気がする。



産後の自分の体調・体力の回復の悪さに

高齢出産の大変さを実感せずにはいれない毎日。



円座クッションなんて、最低3ヶ月は

持ち歩いてたほど、痛くて一生この痛みが

続いたらどうしようと半泣きの毎日だった。



特に産後6ヶ月は全身の体の回復の実感が

もてないくらいしんどかった。



両家ともに高齢のため親のサポートは一切受けず、

夫は1ヶ月育休をとり二人三脚。


そして産後ドゥーラさんに

たまに食事のサポートをしてもらって

2人であーでもない、こーでもないと

なんとか乗り越えた。



でも夫婦2人で力をあわせて

息子を育てれたことは

2人の絆も増して本当によかったと思う



大変ながらも成長していく息子は可愛かったし

息子も生後9ヶ月になり

私もやっと少しずつ

心と体の余裕もでてきた〜と


自分の今後のビジネスのことも考えようと

動き始めた矢先、



天中殺のど真ん中の年の、天中殺月に

私に突然ある出来事がふってきた。



それは、


息子生後9ヶ月でまだ授乳中

40代初産で産後の身体の回復も

整ってない、自分と育児のことで

いっぱいいっぱいのタイミングで



まさかのコロナ禍で一人暮らしの母が

認知症になっていたことに電話だけでは気づかず、

すでに食事もちゃんととれていないこと

サポートが必要なほど進行していることが

発覚し、私の介護生活が突然スタートした。



それも神奈川↔︎兵庫県という遠隔介護。



そう、ちょうど今頃の季節だった。

3年前の2021年の11月の末、

4年前に脳梗塞をして以来たまに

通っていたデイサービスから母が家から

でてこないと朝に電話。



午後に母に連絡はついたものの

嫌な予感と胸騒ぎがとまらず

急遽、不安ながらも夫に2日間息子を預け

実家へ帰省。



久しぶりの実家は

貴重品の場所すらわからないほど

ゴミ屋敷のように荒れた家に

空っぽの冷蔵庫

食事もろくにとれていない虚な母を

目の当たりにし



もう1人では母は生きていけないと愕然し

認知症がかなり進んでいることを実感したときの

ことは忘れられない。



産後も電話はたまにしていたけど

私が話して母は聞き役が主で

たまに食べ物をネット注文で買って送って

あげたりしていたが、母は自分の現状の

大変さを伝えてくれていなかった。



産後すぐの娘に心配かけてはいけないと

母なりの気遣いだったのだと思う…




あの日から突然私の0歳児の育児と母の介護の

ダブルケアが始まった。



90代半ばまで認知症もなく生きていた祖母の

イメージがあったので、

70代中ばにもなってない母の介護が

こんな早くはじまるなんて…



さらにまさか、産後すぐの

体力の回復もまだまだで一番育児で手がかかる

タイミングで介護が私にのっかかるなんて…

と絶望した。



なんで私?なんで私なの?

なんで母?なんで母なの?


やはりそう思わずにはいられなかった。



やっと念願の赤ちゃんを授かったのに

夫と3人で幸せに過ごせてたのに…



周りの70代は元気な人だって多いのに

母はめちゃくちゃ働いて頑張って

念願の初孫が生まれ

やっとこれから老後をのんびり

楽しめるはずだったのに…



母と一緒に、幸せから

どん底に突き落とされた気分だった。




帰省した初日は、

母が認知症になったことを

頭では落ち着くしかない

受け入れるしかないとわかっていても



心はショックで悔しくてついていかず

いつか私のことも母は忘れてしまうのかなと思うと、母との思い出が駆け巡り

電車のなかでも一人涙が溢れて

とまらなくなりずっと泣いていた。



振り返ると

私の結婚式の1週間後に母が脳梗塞で倒れ入院。

新婚早々、看病の帰省を毎月何度もした。

母は右手足に麻痺が残ったがこの時はなんとか

1人で暮らせるようにはなっていた。


ただ、今回は産後9ヶ月で

認知症と体の不自由な母の介護が始まった。



結婚してやっと自分の人生を生きていける!

産後に母としての私も第二の人生スタートだ!


そう思っていたのに

私の幸せのスタートのタイミングで

なぜか母のケアがいつも必要になる

(自分の潜在意識がそうさせていたとしか

 思えないほどに)



これからの私の人生どうなって

いくんだろう…そう思わずには

いられなかった。



つづく…