病院で、癌の可能性があると言われた。
 
医者は最悪のケースを伝えるものだが、
正直、ただ検査の結果を聞きに来たつもりなだけだったので、
その場で「手術しますか」と問われ
頭がフリーズした。
 
若くて、態度の大きい女医だった。
足を組んでつま先ブラブラさせて、口調もキツい。
わたしが何か言葉を発すると、「だからあ」と言葉を被せてきて
早く手術を決断するのを促すかのようだ。
 
付けまつげ、ダイヤのいっぱい付いたゴールドアクセ、
スクラブのはだけた隙間から見えるレースのショーツ。
 
…なんかやだな、この人。
 
わたしは自分の疑問や気持ちを表現する言葉が見つからなくて
違和感しか感じていないのに、なぜかその場で手術が決まってしまった。
 
…わたしの体なのに?
 
体がこんなことになってしまったのは自業自得なところはある。
自暴自棄で投げやりなわたしは、体を大事にしていなかった。
不調は出るだろうなと怯えて暮らしていたけど、まさか癌だとは。
 
最近、とみに湧いてくる
「わたし、なにが楽しくて生きてるんだろう」という思い。
 
美味しいもの食べたとか素敵なもの買ったとか、そんな一過性のものではなく
自分の奥底から湧いてくる能動的な楽しみやよろこび。
そんなの、ほとんど感じたことない。
 
これから癌に怯える人生が始まるとしたら
わたしの人生って、完全に怯えに支配された人生だな。
なんの楽しみもよろこびもありゃしない。
なんで自分のことなのに、こんなに自分の気持ちや楽しみがわからないんだろう。
わからないんだもん、表現なんてできるわけないよなあ。
 
ふと、思い出したコンタクト・インプロ。
以前参加したワークショップで体験したんだった。
畳の大部屋で、年甲斐もなく飛んだり跳ねたり。
無邪気に動き回って、信頼する人に体を預けたりゆだねたり。
楽しかったなあ。
そんな経験、したことなくて。
 
わたしは、そんな幼児体験が圧倒的に欠けていたのだろう。
なにかを「楽しい!」と純粋に言えるような、安心安全な場。
自分の思いを素直に発せられる場。
 
わたしはあの女医に、言いたいこと沢山あったけど
一番大きかったのは
「(信頼できない)あなたに、わたしの体を預けたくない」という思い。
 
なんだ。
わたし、何だかんだ言ったって、
自分の体、大事じゃん。