「欲をだすと、その力は消えちゃうんだよ。」

 

 

これは、まだわたしが子供だった頃。

炬燵を囲んで団欒していた時に耳にした、何気ない会話の一部です。

 

 

その力、といっても。

それが特別なもの、という話では勿論ありません。

 

 

自分のことばかり優先して、おかしな欲?をだして生きてはいけないよ。

そんな意味からの言葉だったと、子供ながらに解釈していました。

 

 

そして、時の流れと共に、その解釈も少しづつ変化していきました。

 

 

臨在と不在。

 

 

サイキックマッサージのトレーニングが進むなかで。

セッションに必要なテクニックを身につけると同時に、それを行うわたし達自身の、在り方について。

あらゆる事を実践しながら深く探っていくという、とても貴重な時間を得ることが出来ました。

 

 

そこでは、臨在と不在、このふたつの違いについても、多くの体験を深めていくことになります。

 

 

というか、実際は。

 

 

日常生活のなかで、このふたつに繋がる事柄を、嫌というほど体験していることに、気がついていきました。

 

 

いかにこれまで無意識だったことか。

 

 

そのことに驚いた。

と言うほうが、あっているかもしれません。

 

 

もっと言ってしまえば。

わたし、不在ばっかりだったじゃん!

 

 

恥ずかしながら、そんな風にも思えたのでした。

 

 

わたし達は、サイキックマッサージのセッションを行ううえで。

自分自身の感覚を研ぎ澄ますことはもちろん。

 

 

自分自身を、“知る”ということを、あらゆる手法を通して体験していくことになった、という事は以前にもお話ししたとおりです。

 

 

そこでは、その瞬間瞬間に感じる自分の感覚や感情を、より素直に、それを受け容れるということを試みていくという。

 

 

これはなかなか、言葉で言えるほど単純で、生易しい話ではない、というのが本音でもありました。

 

 

だって。

自分の嫌なとこなんて、認めたくないじゃーん!!

 

 

そうです。

そうなのです。

嫌なところ、いっぱいあるのです。

 

 

そういうところも、いっぱい出てきて、感じちゃうのです。

そんなところも含めて、全部が愛おしい自分なのです。

 

 

いいコでいたい自分。

カッコつけちゃう自分。

いろんな自分がいるのです。

 

 

本来の自分。

 

 

そのユニークな質を信頼することを忘れて。

それ以外の者にでもなろうとしているのか?

 

 

気づくと、事あるごとに、あらゆる欲望が張り付いている事実に気づいていくのです。

 

 

キャァー!!!

 

 

不在の状態・・・

 

 

サイキックマッサージのトレーニング中での体験から、エネルギーのリーディングを例えにお話しすると。

 

 

エネルギーを、“読みたい”。

 

 

という、ちょっとした欲望がそこにある時点で、それを受け取る感覚が全く鈍ってしまうという。

実にわかりやすい結果が現れました。

 

 

ただ、その行為を、子供のように楽しんでいるだけの時は、面白いように情報を受け取れていたのですが。

 

 

自分でも気づかないような、些細な期待・欲望が湧いたと同時に、さようなら。

その力は、薄れてしまうのです。

 

 

そして、過去を振り返ってみれば。

 

 

あの時も。あの時も。

嗚呼!

あの時もぉ~!!と。

 

 

より良い結果を望むばかりに。

期待。不安。恐れ。緊張。といった状態に。

自ら自分自身を、追いやっていったのです。

 

 

自分は何処にいるんだろう?

ここに、いないような気がする。

 

 

そんな、どこからともなく湧きあがる、心許ない感覚の意味が。

サイキックマッサージのトレーニングという実体験を通して、徐々に納得できました。

 

 

かたや、臨在。

 

 

今、この瞬間に、ただ在ること。

 

 

言葉にすると、なんだか出来そうな気がします。

とても簡単なことのようにも思えてきます。

 

 

でも、実際は!

 

 

臨在。

 

 

寛ぎや、よろこび、やさしさ、あたたかさ、遊び心・・・

 

 

そして、わたし達の内側に在る、静かな瞑想の質。

 

 

臨在と不在。

このふたつの違いについて、気づいていくことは。

日々の暮らしでの体験を、天と地ほどに変えてしまうぐらいの、とても大きな出来事でした。

 

 

あるひとつの事柄を前に、不安や疑心を握りしめて、緊張しながら事に臨むのか。

 

 

または、寛いだ状態で、その事柄に遊び心を持って、楽しみながら味わっていくのか。

 

 

その瞬間の、自分のちょっとした在り方の違いで。

そこで起きる体験が、まるで違った出来事として人生に刻まれていくのです。

 

 

サイキックマッサージを行ううえで、要になることはもちろん。

日々、より良く生きるうえでも。

 

 

今、という瞬間に、寛ぎ、醒めていること。

 

 

何気ない出来事が、より豊かに、よろこびと共に、わたし達の体験として味わうことが出来るのか。

そうではないのか。

自分自身の在り方ひとつで、そこで観える景色が、ガラリと変化するのです。

 

 

臨在と不在。

これに関してのお話は。

おしまい。

と、終わりを告げることが出来ません。

 

 

日々、瞬間瞬間に。

 

 

その体験を深めているところです。

 

 

そしてまた、そんなきっかけを与えてくれたサイキックマッサージに。

日常で起きる全ての事柄と、全ての存在に、心から感謝するばかりです。