長男が4歳の夏、「小学校受験しよう」と思い立った。
その理由は私の学生時代にさかのぼる。
私は九州の小さな田舎町で高校生までの18年間を過ごした。
小学校は地元の公立小以外の選択肢はなく、当然のようにその学校へ通った。
都会のように厳しい中学や高校の受験の慣習もない世界だったが、
私が中学校に上がる時に、地元で初めての「私立中高一貫校」が開校した。
自分で言うのもなんだが、勉強はとても好きだったし、成績も(多分)良かった。
新設の学校で行われるであろう「未知の教育」にわくわくした。
両親に相談し、その学校の1期生として入学。
新設の学校の最大の目的は、「有名大学合格実績」を作ることだった。
1クラス30人足らずの少数精鋭で、ひたすら大学受験対策のための勉強をする日々。
学年が上がるにつれ、部活はもちろん、受験に関係のない科目も、削られた。
今思えば、一種の洗脳だったのかもしれないが、
人生の目標は「大学合格」
それに失敗すれば人生終わりだと信じていた私は、トイレに行く時間も惜しんで勉強した。
学校の定期試験前は何日も徹夜が当然、
睡魔に勝つために、練りわさびを机に忍ばせ、眠くなったらそれを舐めて目を覚ました。
受験のストレスだったのか、高校2年生の時には体重が10キロ近く減り、
髪の毛まで抜け始め、見かねた母に病院に連れて行かれ、ホルモン治療を受けたこともあった。
でも、私は
「大学合格のためにはこんな努力では足りない」と
ひたすら自分に鞭を打っていたように思う。
そんな努力を惜しまない自分も好きだったのかもしれないし、
そんな「頑張り屋の娘」を見て喜んでいる両親の期待にも応えたかった。
クラスメイトは、みんな受験のライバル。
6年間も同じ空気を吸ったのに、心から親しくなることはなかった。
文化祭や運動会もなく。毎日黙々と勉強を続けた私の中高時代は、
希望大学への推薦合格という形で実を結んだ。
大学に入ったと同時に、私の目標は果たされてしまったわけで、
ふと我に返ると、方位磁針もない荒野にポツンといる気がした。
方や、大学で出会う人たちは、
音楽が得意だったり、本をたくさん読んでいたり、
高校時代にボランティアや学生活動をしていたり、
経験の幅が圧倒的に広かった。
同じ大学に入っているのに、それまでの経験値が違う・・・
その時、自分の中高の6年間の過ごし方に初めて疑問を持った。
でも、過去を後悔しても何の意味もないわけで、
そこからは自分の好きなこと、興味のあることを、
「意義」や「成果」など深く考えずに取り組んだ。
私自身の中高の過ごし方を、決して否定するつもりはないが、
(それがあったから、幸せだと思える今があるわけで)
知力、体力があるTeenagerの短いキラキラした時間は、
枝葉を広げたり、深く根を下ろしたり、
受験勉強以外のことにも使うべきだと、ずっと思っていた。
しかし、今のご時世、特に都会では中学受験が一般的になり、
そのために小学校3年生から塾通いが始まる。
自分の息子に、そのレールを歩かせるか否かと考えたとき、
私の結論は、その時間をもっとほかのことに使って欲しい、だった。
小学校受験の世界もなかなかエキサイティングで、疑問も多かったが、
我が家なりのやり方で、約2年の準備期間を経て、
息子は無事、私たち両親の母校の付属小学校へ入学した。