飯野賢治&WARP展
技術は、いつか古くなる。
だったら、作品の中に何を込めようか。
セガ・サターン。
17年前の名作ゲーム、エネミー・ゼロも、リアルサウンドも、Dの食卓。
今プレイするととても古臭く、つまらなかった。
17年ぶりにプレイした当時の最先端。
当時は、興奮したし、斬新さに驚いたし、感動もした。
「こんな世界を表現できるんだ。と」
でも、時は流れた。
グラフィックやシステムの技術は進歩した。
そして、自分も様々なゲームの進歩を味わった。
当時 大興奮した幻想の中で接した、今の現実。
最先端の永遠なんてない。
クリエイターとは、
アーティストとは
時代時代の最良の表現方法で作品を作っているだけなのだろう。
まずは根っこの部分にある哲学、信念があって、それらの部分は不変で、
たまたまそこに絵があったから、
彫刻があったから、
音楽があったから、
ゲームがあったから。
時代的偶然で、そのツールが何だったかということだけだと思う。
大切なのは、そのツールが何かではなくて、まず自分の内側で何を現すかだと思う。
それをどの鏡に映すかは、問題ではない。
映したいもの、根っこの部分がしっかりしていれば、後は何に映しても問題ではない。
今は「つまらない・古臭い」と感じた当時のテレビゲーム。
しかし、クリエイター自身の感情や哲学が画面・音楽・コントローラーから伝わってきた。
技術は、どうせいつか古くなる。
だったら、技術を超えた 生き続ける魂を込めるべきかもしれない。
彼自身は、死後 まだこの作品に生きている。
ゲームアーティスト、故・飯野賢治。














































