もう間もなく11日
あの震災から2年。
テレビも震災関係の内容がメインとなっている。
再現映像やドラマ化したものも増えているが複雑な気持ちも否めない。
自分も及ばずながら震災後早期に被災地に足を運び、
今後どの様に受け止め向き合っていくかを考えた一人である。
あだ手を入れる事が出来ていない現場を目の当たりにした経験は
今後の自分の方向性を必ず修正してくれる事であろう。
テレビの映像では枠に入りきらない見渡す限りの地獄絵図
穏やかで何事も無かったかのように静まり返った空間だが、
そこにあるべき家も木も車も普通ではあり得ない形と状況で転がっている。
確かにすべてのモノが目前には存在するのだが、
どれも機能できないただの個体として動かしようの無い一番安定した足場を築き存在している。
しっかり地に着いているがために、どれも片付けるには困難な事が想像できる。
自分の足元にはもしかしたらまだ発見されていない方が埋まっている可能性も感じながら、
その現場に向き合い、納得できるまで自問自答を繰り返した。
なんか偉そうでカッコつけているように感じる文章かもしれないが、
こんな書き方しか出来ない文章力がゆえと情けなく思う。
自分は被災者ではないしどれだけの協力が出来たか知れないが、
自分なりにしっかり向き合っている事を今日あらためて自覚している。
震災はあってはならないことで、それに順ずる二次災害も許したくは無いが、
それらを非難ばかりするのではなく、
同時に前を向く為に作用させる努力も必要かと・・・。
そろそろ震災時の心を忘れかけている場面もそこここに感じる。
昨日も自らの技術の無さと勉強不足を棚に上げ、
「儲けの出ない努力なんかしてられるか」
と発した会社の重役の言葉があった。
現実は確かにそうかもしれないが、頼っているから声を掛けるのである。
頼られる事の尊さそ受け止めているのならもう少し足並みを揃えられる言葉を発するだろう。
他人を責めているのではなく、ただ残念でならない。
心ある対応と伝え方を考えるには
「3.11を忘れていけない気持ち」
と同じ所に核はあるのではないかとも感じる。
自分は忘れることは出来ない一人として・・・。