「本音と建て前」
以前も触れた事があったかもしれない。
テレビで素晴らしい議論が放送されていた。
とても考えさせられる。
しかし自分の頭で考えられる範疇を超えていない。
「素晴らしい」とは思っていても、何か物足りない。
言葉の範疇を超えていないのかもしれない。
これにより国民が、つまりは個人が「行動」に移すには程遠いからであろう。
以前にここで「三国志」の「劉備」と「呂布」について書いたことがあったかもしれない。
自分には彼らの内面は同じに思えてならない。
ただ「育った環境」と「結果」があまりにも違うために、
評価が分かれていると思う。
昨年「劉備」を立たせようとしたが、その後に「呂布」のようになることにより、
本当にそれを証明してくれた人がいた。
この人は「曹操」になるか「劉備」になるか未だに考えているだろうが、
明らかにどちらにも備わっていた「人望」に欠けている。
残念な事であるが、
まぁ、荒野でムカデの毒なんかで倒れるくらいが予想できる。
今回のテレビでの議論はそんな「勘違い人間」を生みかねない。
それでもいい番組のうちに入るであろう。
そんな便利ながら複雑な時代になったのかもしれない。
まぁ、劉備か曹操になっても「呂布」にはなりたくないと
改めて思った。
新年早々このような意識でいられることは
本当に良いスタンスであると思う。
ありがたいスタートを切れたのかもしれない。