黄金率?自然の法則? | プレミアムシザーズのブログ

週間天気予報!


ドンピシャですねぇ~チッチ!


ここのところの当たり方は本当に信頼できるレベルになりました。


「自然の法則」を解明できてきたのでしょうね。


解明に近づけた功績は人の力ですが、


何万年も前から地球は当たり前にように、


それも包み隠さず表現してきただけで


何も変わっていないのが流石です。


天の黄金率というか自然の黄金率といった


本来、いち人間ごときでは操作できない


身を任せるしかできない環境の中で、


自分は何かをできるような事を勇み、


人の心を踏みにじり自らだけは護ろうとする流れは


この自然界の黄金率のフィルターにどう振り分けられるのでしょうか?


雨が降ったら従うしかない。


しかし、雨が防げると口にした場合、


絶対に降らせてはいけないのです。


「防げる」と言葉にする事は明確にしていないわけで、


相手がどう取るかは相手を攻める事はできません。


相手が勘違いをしたのならそれを明確にし責任を放棄せず


丁重に対処しなければいけないのです。


だって自然は何も変わっていないのだから。


その法則に「勇んだ」わけだから全責任は言葉発した側になるのです。


逃げる事は人から逃げているのではありません。


自分から逃げているだけで、結果は収束には向かっていないのは知っているでしょう。


誤魔化しているだけで、その呪縛からは逃れられないのです。


自分の記憶にもそして他人の心にもしっかり痕跡として残り、


それらは見えない伝達やプレッシャーとして偽善者だけに降りかかる。


「雨が降るだろう」とデータが出たのならそれはほぼ降るのです。


雨に濡れていないフリをしても人から見て濡れているのなら


一般的には「濡れている」のです。


逆に晴れていても「濡れている」ように人に見えれば


それもまた「濡れている」のです。


濡れているかどうかは


「人が感じる事」なのです。


間違えていけないのは


「自分の感情」ではないのです。


「虫けら」といわれている存在も


「自然」に逆らわなければその一生をまっとうするでしょう。


「賢者」の称号がある人でも


どんなに「虫けら」をけなそうとも


身の丈にそぐわない不自然さは短命に繋がるでしょう。


存在に上下はありません。


しかし、真実とまやかしはそれを時に


あたかもあるかのように見せようとします。


それもまた真実。



時に本名とは違う表現で人と接し、


時に法人として接したら


それ自体が何が何だか判らない事になるのと同じだと思う。


それを判断するのは他人であるということです。



煙に巻こうとして煙をたたせたとしても、


煙に巻こうとする人が一人なら


「ここにいるよ」


と示しているくらい人は冷静で真実しか見ないのです。



自分はそんなちっぽけな一人として戒めているのです。


これは自分に言っているのです。


今までも、これからも・・・。


いい加減肩の力を抜いて、本来の身丈を見せて欲しいと、


皆の言葉が聞こえてくる。



そうしてこの十年はオセロを打って来たのです。



自然の黄金率に従って・・・。