やはり「落とし日」は必要なのかもしれない。
今回もそうだが、
いつも「落とし日」の次の日からは身の回りに動きがある。
良くも悪くもであるところが「生身の粋」ではあるが、
とても冷静でいられる事を、客観的に観ている。
「maiko」サウンドに浸りながら、
純粋に曇りのないイメージを切れ味に転換できている。
今日も数丁の仕上げを手掛けているが、
こんな天気にも関わらず、晴れたイメージを描けてる。
冒頭あたりで書いたように、良い事ばかりでもなく、
相変わらず人の協力は希望以下ではある訳で、
アクセサリーも鋳物もプロ意識を見せていただきたいと感じながらも、
何故だか、不良品は期限通りに仕上がってくる。
それでも、冷静である。
半畳の我が足元は「落とし日」を繰る返すごとにハードになる。
敷地は変わらないながらも、最近は硬度が増してチタンクラスになってきたようだ。
表面加工はブリザックばりのグリップも感じながら
明らかな安心感を持って厚みさえ増して存在するようだ。
巷ではこれ以上の敷地を増やす事が大切なんだろう。
しかし、残念ながら私の力なんてものはこんな物。
これ以上は時間と流れに任せよう。
小さいながらも、せっかく安心できる足場を手に入れたのだから、
単純に喜んでいよう。
そりゃ、見栄や欲を求めれば大きくなれるのかも知れないが、
それでも最高のハサミが造れるのだから。
大きさを保つ為に余計な負担を背負うのなら、
今の限界まででいい。
これ以上を天が許してくれるのなら、
その時に従えばよい。
この文を書きながらも
「maiko」メロディーは心地よく感じられるのだからね。
なんか、ヴァイオリンが歌っているようだなぁ~