今日、たまたまMBAのときの同級生と夕飯を共にした。
ちょうど同じ時期に、今後の身の振り方を考えているということでディスカッションを行なう。
そこで、共通認識として出てきたのが、組織化能力が今後の社会活動のキーワードになるということ。
約20年くらい前までは、終身雇用制(実際には建前なのだが)、に守られた会社社会においては、会社という組織が個人が最も重きを置く社会活動の場であった。
MBAの同級生の彼は、日本最大の情報産業会社を経て、国際的なコンサルティング企業につとめている。
彼自身「終身雇用から降りた身」と表現していたが、今後日本経済がどのような報告に進むにせよ終身雇用制が復活することは想像できない。
また、彼の言葉を借りるが「どんな仕事をしていても、常に自分の将来に対する選択肢を突きつけられて生きているという感覚」は、20年前の日本には無かったことではないだろうか?
ただ、今の日本においては、どんなに大きい企業に勤めていても、この感覚を感じる人は多くなっているのではないだろうか。
もし、こうした仮定が正しいとすれば、個人が寄って立つ社会共同体が企業から他のものにシフトすることが考えられる。個人的には、家庭に対するシフトは徐々に起きているように感じる。
(もう少し、『経済幻想』をちゃんと読んでおけばよかった。。。)
そうした場合に、地域コミュニティや同じ嗜好や同職・同世代などのコミュニティなどが今後、今まで企業が担ったきた共同体の役割を担うことになると考えられる。そういったコミュニティを創設していく能力というのが、これからの社会において求められる新たな能力・組織化能力なのではないだろうか。
ちょうど同じ時期に、今後の身の振り方を考えているということでディスカッションを行なう。
そこで、共通認識として出てきたのが、組織化能力が今後の社会活動のキーワードになるということ。
約20年くらい前までは、終身雇用制(実際には建前なのだが)、に守られた会社社会においては、会社という組織が個人が最も重きを置く社会活動の場であった。
MBAの同級生の彼は、日本最大の情報産業会社を経て、国際的なコンサルティング企業につとめている。
彼自身「終身雇用から降りた身」と表現していたが、今後日本経済がどのような報告に進むにせよ終身雇用制が復活することは想像できない。
また、彼の言葉を借りるが「どんな仕事をしていても、常に自分の将来に対する選択肢を突きつけられて生きているという感覚」は、20年前の日本には無かったことではないだろうか?
ただ、今の日本においては、どんなに大きい企業に勤めていても、この感覚を感じる人は多くなっているのではないだろうか。
もし、こうした仮定が正しいとすれば、個人が寄って立つ社会共同体が企業から他のものにシフトすることが考えられる。個人的には、家庭に対するシフトは徐々に起きているように感じる。
(もう少し、『経済幻想』をちゃんと読んでおけばよかった。。。)
そうした場合に、地域コミュニティや同じ嗜好や同職・同世代などのコミュニティなどが今後、今まで企業が担ったきた共同体の役割を担うことになると考えられる。そういったコミュニティを創設していく能力というのが、これからの社会において求められる新たな能力・組織化能力なのではないだろうか。


