量子の社会哲学 革命は過去を救うと猫が言う/大澤 真幸
¥2,310
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自然科学・社会科学・芸術は時代精神に大きく影響をされる。
古くはギリシャ時代。近くはニュートンやアインシュタインの時代。


ギリシャ時代、科学は哲学の範疇にあった。
ニュートンの光学は、光を抽象的表現として利用する印象派に影響を与えた。
また、アインシュタインの物理学は、ニュートンの物理学から神を引き離した。


そして、量子の時代に入った。
量子力学の泰斗ファインマンは言う。
『量子力学を理解していると主張するものこそ、量子力学を理解していないのである。』


量子力学は、時間、因果関係、物質の知の内在化など我々が今まで想定していたことを簡単に覆してしまう。
すなわち不可知の領域。全知と全能が両立しえない領域。
その領域が、芸術にキュビズムを生みだす。ピカソの絵はまさに、不可知の領域。


著者は言う『われわれは、次のように言うこともできる。量子力学に至りついたとき、人間は、それについて無知である限りで、神とその下にある人間界の秩序の安寧が保たれるような、恐ろしい淵源を垣間見てしまったのだ、と。』


量子の世界を開いたことが、これからの人類に何をもたらすのか。
文系人間でも読むことができるので、思考の整理のためにも一読を進める一書。

132億円集めたビジネスプラン/岩瀬 大輔
¥1,260
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生命保険はお好きですか?私は基本的に大嫌いです。。
何故なら、保険のおばちゃんのしつこさと、払ったお金がどこに使われているのか分からない仕組み。
ものの本によると、なにせ原価の3割から6割は、おばちゃんの給料やなにやらに消えてしまう。
貯蓄なら、現金でするワイ。
そして、不払いなんかされた日にはきっと気がくるってしまうでしょう。


ビジネスプランを立てるという作業は非常に難しい。
色々頭を捻ってみて考えてみても、もう世の中には全てのビジネスが生まれているんではないかと絶望感を感じてしまう。せいぜい出てくるのは、うまくも、面白くもないプランばかり。。。。


著者は、大学時代には現役で司法試験に合格し、ボストンコンサルティングに就職、その後日本人で数名しかいないハーバード・ビジネススクールを最優秀の成績で卒業。。。。
この時点で頭の出来が違うと感じてしまうが、その実最初ビジネスプランを構築する際には、同じような悩みにぶち当たったらしい。
そこからのブレークスルー、対面販売でしか売れないといわれてきた生命保険をネット専業で販売するという。


ビジネスプランの書き方を学べる本はいろいろあるが、この本は著者がどのように悩み自分のビジネスプランを構築したかが、文章から透けて見えてくる。


本書に対して、また立ち上げたばかりのビジネスを、成功してもいないのに本にするなどという批評もある。ただ、132億を集めたことがすごいのではない。
知恵の限りを尽くして、自分のビジネスを軌道に乗せようとしたこの姿勢がこの本からは学べる。

筆不精ですみません。


やっと昨日、年賀状を提出いたしました。


筆不精な上、遅筆ですみません。


印刷した年賀状に字を記すのに3日間かかりました。


筆不精な上、遅筆な上、字が下手ですみません。


届いた方で、文字が読めない苦情は、メールにてよろしくお願いいたします。


筆不精な上、遅筆な上、字が下手な上、ものぐさですみません。


郵便局からもらった年賀状を袋から取り出すまで1週間以上かかりました。。。。


大変申し訳ありませんが、今年もよろしくお願いいたします。
フェルマーの最終定理 (新潮文庫)/サイモン シン
¥820
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年末年始シリーズから。何故か理系っぽい本が続く。
フェルマーの最終定理は、17世紀の数学者フェルマーが「私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が小さすぎでここに記すことはできない」とのメモを残し、ある命題を指す。


ピタゴラスの定理と呼ばれる、直角三角形に対する定理は非常に有名な定理である。
ピタゴラス曰く、「直角三角形の斜辺の二乗は、他の二辺の二乗の和に等しい。」
フェルマーの最終定理は、ピタゴラスの定理の乗数が3以上の整数では成立しないという簡単な変形である。


では何故、この簡単な変形を証明することができなかったのか?
それは、無限との格闘にある。整数は、無限にある。


証明をするためには、①全てのパターンを試す②数学的論理で完結させるの2アプローチがある。
コンピュータの進化により①のアプローチは、劇的に処理能力を増やしてきたが、無限を扱うことはできない。
コンピュータが地球上の資源を使い尽くして計算をしても無限を処理し尽くすことは不可能なのである。


フェルマーの最終定理は、必然的に②のアプローチによって証明される必要があった。
どのように証明されたのかは、正直私の数学的能力ではほとんど理解することはできなかったが、
無限を扱うという考えた方には多数の感銘を受けた。


数学者の生態や、挑戦の歴史などそれほど数学的素養が無くても読めるようにできている良書。
46年目の光―視力を取り戻した男の奇跡の人生/ロバート・カーソン
¥1,995
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年末年始に読んだ本をもう一冊。
主人公は3歳のころに、化学薬品の爆発によって角膜を損傷し、光を失った。決してあきらめない性格と、気丈な母に支えられて、やがて幸せな家庭を築き上げる。妻のコンタクトレンズの検診で訪れた眼科にて、視力の回復の可能性を告げられて、主人公は再び光を取り戻す。ノンフィクション。


詳細はネタバレしても仕方ないが、プロットだけならば昔からある非常に陳腐な話のように感じる。
この本を読んでいて非常に興味を覚えたのが、目が見えるということは経験と密接に関係しているということである。


以前、ある記事を読んだ際に、「風鈴を知らないフランス人は、風鈴を見ることができない」ということが書かれていて不思議に思ったことがあった。
本書では、主人公が新しいものを見るたびに、戸惑う様が書かれている。最初は、人の表情や男女の差を顔から判断することすらでき無かった。


もう一度翻って考えてみると、様々な知識や経験を経ることによって、同じものを見ても見え方が変わってくるということが言えるのだろう。
私はよく街中で変なものが落ちていることに気がつくことがある。同じ通りを通った同僚は全く気付かなかったらしい。(添付の写真参照)


PRE_MBA:若手ビジネスパーソン向け勉強会-現代芸術


学ぶこと、経験することが、”見る”というありふれた行為を豊かなものにできるのだろう。