(つづき)
日本に帰国後、精神的な混乱状態にあった私は聖者の言葉を思い出しました。
「2000年12月15日以降、あなたはやりたいことが何でもできるようになる」
彼がそう言うんなら、そうなんだろう。
でも今の私には雑音が多すぎる。
2000年12月15日にやりたいことが何でもできるようなっているためには、自分の中をすっかりきれいにしておく必要がある。
そう思った私は、2000年12月15日から逆算して、間に合うように自分の中の大掃除を始めました。
その期間中、私は半年間、実家から一歩も出ずに過ごしました。
そうして自分の中に起こっていることや過去に経験してきたこと、浮かんだ妄想の数々を全て文章に書きだして、
何人かの知人に一方的に送りつけました。
それは毎日何十枚にもなりました。
もちろん、そんなものを送りつけられた知人たちからの返事は日を追うごとに減っていき、
最終的には2000年にインドで出会った、わたしよりも10歳上の一人のサラリーマンだけがときどき返事をよこすのみとなりました。
わたしは彼に毎日何十枚も文章を書いて送りつけました。
私の中身は文字にした分だけ軽くなり、クリアーになっていきました。
2000年12月15日以降、あなたは自分のやりたいことはなんでもできるようになる。
そう聖者に言われた私でしたが、実はすでにわたしはこの世界でやりたいと思えることはありませんでした。
ただ、ここからいなくなりたい、とはしょっちゅう思っていました。
ですから、2000年12月15日には、わたしは肉体を離れられるのかも、と思っていました。
そしてその日を楽しみに、半年間かけて自分の中を空っぽにしていきました。
個人的な持ち物も全て処分しました。
自分の服なども全て捨てたので、父や、母や、弟たちの服を勝手に借りて身につけていました。
そうしてついにわたしの中にはもう何もない、という安堵を感じる時がやってきました。
何もないので混乱ももうありませんでした。
そうして迎えた2000年12月15日。
その日は永遠に肉体を離れるチャンスが来たらいつでも逝けるように、
何もない部屋で一人横たわって、穏やかな気持ちでその時を待ちました。
2000年12月15日は穏やかに過ぎて行きました。
・・・つまり、結局その日わたしの身には、特に変わったことは起こらなかったのです。
逝けなかったらしい・・・。
やりたいことも何もない。
わたしにはやるべきことも何もない。
しょうがないのでわたしは半年ぶりに家から出て、大地を確かめるようにゆっくり歩いてみました。
家の周りを少し散歩しながら決意を決めたわたしは、
在来線を乗り継いで新大阪に行き、そこから新幹線に乗って新横浜に行きました。
そうしてわたしの膨大な手紙に軽やかに返事を返し続けてくれていた、
1年前に南インドで会ったきりの、金融会社で為替のディーラーをしていたサラリーマンの住所を訪れました。
そして超驚いてわたしを迎えた彼と結婚することにしたのでした。
彼は数日後に横浜市内で引っ越すことになっていて、
その引越し先である高台の新築マンションの、最上階にある眺めの良い部屋にわたしを案内しました。
彼はわたしを経済的に支えることに同意し、わたしは家事を一切しないし働きにも出ないという結婚の条件を喜んで呑んだのでした。
実際、一人暮らしの長い几帳面な彼は、全ての家事を、わたしの分まで丁寧に行いました。
さらにわたしの美術家としての活動を、IT面からもサポートしてくれました。
瞑想を日課とし、ベジタリアンの彼とは実生活ではそれまでほとんど関わっていなかったのに、全てが調整済みのようでした。
のちにインド占星術で二人の相性を調べてみると、稀に見るエクセレントな相性の良さでした。
あの時デリーで会った、遠い昔からの知り合いであったであろう聖者の彼のことはその後も時々思い出します。
その後、彼は何度も夢や、鏡を通して日本のわたしを訪れ、常に助けてくれました。
がんで亡くなった友人にも3度夢で会い、3度目に夢で会ってしばらくのちに、彼の全てが昇華されたことを知りました。
デリーで会った彼は、すでにたくさんの信者を持ち、重い責務を負う聖者であったけれど、
彼を思い出す時、子供たちのようなリズミカルで無邪気な感覚で、私たちは繋がっていることがわかります。
そんなとき、生きていることは祝祭で、わたしたちの人生には叶えられることを待っている可能性しかありません。
それがきっと、
わたしたちが全てがつながる場所で共有している、
壊れないダイヤモンドの輝きのようなものなのだと思います。
《終わり》
(画像と本文は関係ありません)
