そういえば昨日リシケシ在住15年くらいの知人夫婦の家に行って、チャンティング練習のあとにほら貝があるのを見つけたので、奥さんがヨガ着に着替えてるのを待ってる間にだんなさんの方に吹いてみてもらったら、すごく上手に音を出すので感心した。
彼は良くも悪くも?マニアな人なので、興味がわいたことになんでも研究熱心で、
サンスクリットもヴェーダテキストを自分のノートに写経しまくって独学で読み書きできるようになっていて、
チャンティングはここ10年くらいはまってるので、今は毎朝某アシュラムに行って坊さんたちのチャンティングに加わってるそうなんですが、あとは毎日山の中腹の自室で何時間も一人でチャンティングとハタヨガやってるらしいです。
あと、チャパティやいたり、お菓子作ったり。ヒヨコマメ餡の茶巾絞りの和菓子(?)が出てきてもてなしてくれた。
わたしは逆に性質としてあまりマニアじゃないので、独学とかできなくて、
だれかに教えてもらったことしかやらないのですが、
なので逆に、ずっと独学できた彼はほかの人と一緒にチャンティングするのが気持ちよくて楽しいみたいです。
これが私もマニアで試行錯誤の独学だったら一緒にするの難しいかもしれないけど、
そうではなくて、わたしは習ったやり方しかできない融通の利かなさがあるので、全面的にこちらに合わせてくれるので可能です。
で、なんでもものすごく集中して研究して自分なりに会得するだんなさんなのですが、
ほら貝吹いて見せてくれたあと、(私ほら貝の音、好きなのでたくさん買ってプッタの部屋にキープしてあるんだけど自分では鳴らせない)
ほら貝でも循環呼吸でやれるかと思ったけど難しかった、とかその彼が言うので、
え?ディジュリドゥみたいにですか?
と聞くと、
すでに横にディジュリドゥとしか見えない長い棒があったので、
あっ!あった!Σ(~∀~||;)
と思うまもなく彼はそれをかまえて間髪入れずに吹きだした。
で、そのディジュリドゥをすごい上手にぶうぉーーーぶうぉーーーーーと途切れず循環式で吹きつづけるので衝撃で爆笑してしまった。
で、これはほっぺの中にためた空気を循環させて吹くんだけど、ほら貝は口が小さいからできないとかそういうテクニカルな説明をしてくれるのだけど、
ほら貝をディジュリドゥ方式で吹こうとしたんだ。。。。。!爆笑
これって、オーストラリアからもってきたんですか?
と、その太くて大きな棒状のものを指して聞くと、
「ん、これ、竹。」
だって。
裏からでも切ってきたのだろうか。
もともとカメラマンだっただんなさんは仕事で南米に行って、どういう具合か、日本からの留学生だった奥さんと結婚して?そこ。ペルーかどこかで日本人宿のようなこともしてたらしいのですが、
旅行のつもりで立ち寄ったリシケシが住みやすいと思っちゃったらしくて、住んだら長くなったらしいです。
宿屋をやってただけあって、今も人の出入りが多くて、しょっちゅう誰かが泊まっている様子です。
今泊まってる人はガンゴートリに行ってるらしくて今は誰の姿もまだ見てないけど。
リシケシには届け出てる日本人だけでも27人くらいはすんでるそうです。
最近そういう日本人勢力が強くなってきたらしい。
インド人やネパール人と結婚してる日本人女性もちょくちょくいるみたいで、宿屋をやったり、レストランをしたり、
すでに子供をヨーロッパの大学にやって、デリーの日本企業に単身出稼ぎにいってる人も。
30代、40代の人が多いのよ。と、奥さんがのどかに言うので、けっこう若い人(と言えるのかわからんけど)が増えてるんだー、と、思いました。
ご夫婦はインドから出ないといけなくなったら沖縄でアシュラムやろうかなと思ってるらしく、
たぶんペンション「アシュラム」という感じになるかもしれないと思うんですけど。笑 まず間違いなく。
二人とも誰でもウェルカムで気さくですが、ある種の達観の域に達してるんだろうと思います。
人生を通してなのか、もともとなのかは知らないけど。
誰でもウェルカムで柔軟だけど自分の独特なペースを崩さないし。線引くバランスがうまいので勉強になります。
リシケシの祭りの狂乱の期間を抜け出して、プッタパルティにも毎年1週間くらい来てるのですが、
だんなさんは最初のだったか?サイババダルシャンでサイババが近くに来たとき、ブラックアウトだかホワイトアウトだかしてあっちの世界にしばらく逝っちゃったらしいです。笑
また別の時にはサウスインディアンキャンティーンでご飯食べてたら突然周りが輝きだして
わーなんだこれおもしれー。 とかなったとか言ってました。
それが関係してるのかしてないのかはわからないですが、だんなさんはメールとかではよく達観したこと書いてるのですが、あんまりまともに読んでないですが、
そして実生活でもご飯作ったり雑用もして、かいがいしく自らすすんで奥さんの世話してるようなかんじもありますけど、
どこをどう間違ったのか必然なのか、わたしとはサイババとヴェーダでつながったので、人の縁ていろいろだなーと思います。
何でつながるか、というのはその縁の性質そのものになるような気もします。
そしてその重なった部分を通して、お互いの異なった部分も自分自身として取り入れて広がっていけるのだろうなと思います。
人生を分かち合えると世界は楽しいんだと思う。