かつて阿山さんが話題提供していた うたき前の掃除 のことを書きます
半ば私的な内容ですがご紹介させてください
うたき は神様の住む所とされていて、内地でいう神社と考えてよいものと思います
宮古島プロジェクトの宮古側リーダー・川平さんの家の前のうたきが、諸事情あって醜い状態に晒されていました
私たち内地の人間が宮古島で新事業をスタートするにあたって、象徴的なものを感じ、私たちの手でうたき前を綺麗にしよう、と決めました
初めは確かに惨状でした
ゴミが溢れた廃車があり、 廃タイヤ・廃材その他の生活ゴミが山と乱れ、 草木が生い茂り、、、
先祖代々大切に守られてきた神様の住む神聖な場所がこんな状態であって良い筈がない! 絶対に綺麗にしないといけない! と強く思いました
それだけのモチベーションで動き始めました
汚い・醜いより、綺麗・美しい方が、気持ちが良いし嬉しい です
勿論それ自体嬉しい行為ではありませんが、腐敗臭が漂う中、ゴキブリがびっしりと張り付いた廃材の運び出しその他、無心で掃除し続けました
少しずつ綺麗になっていく状況を見て、良かったね、、 って思いながら汗を流し続けていました
そうしている内に自分の心の内の変化にも気づいていました
僕は掃除をさせてもらっている
掃除という行為を通じて、神事に参加させてもらっている
そう思った・気づいた瞬間、体の内から優しい愛情に満ちた強烈なエネルギー溢れ出てきて、どうしようもなく涙が溢れてきました
理解してもらえないかもしれませんが、頭で考えて理解するものではなく、感じるもの
たとえば人が人を好きになる気持ちも、遙かに理屈を超えています
音楽を聴いて感情が溢れて涙するのも同じ
何か一つことに一心不乱に集中して我を忘れた状態
煩悩・エゴから切り離されて無私の状態
そんな状態になった時、人は無限に自由でいられ、無限のエネルギーを与えられると言われます
ヨガ(心と体の統一、宇宙意識との一体化を目指す心身・生活習慣の訓練)では、サマーディ(三昧=浸る の語源)と呼ばれ、所謂、悟りを得るずっと前段階とされています
やっている行為はなんてことはない地味でちっぽけな単純作業
でもそこにハートがありさえすればいいんだって確信を持つことができました
同時に、宮城県に通った震災ボランティアの経験を思い出しました
汗まみれ・泥まみれの家財道具の運び出しや泥出しも、それ自体大したことのない行為でした
ただ 決して他人事とは思えない 何とか力になれるものならそうしたい
ひたすらにその想いをもって動き続ける姿を見て ありがとう もう一度がんばってみようって気持ちになった って涙される姿を見て、僕も救われました
「掃除という行為を通じてハートを伝えることができた これで良かったんだ」
って気づくことができました
埃まみれの現場だったので中川社長に 「どうしたっ!? 目にゴミが入ったか?」 って言われて、笑い泣いていました
その後2回目の波が来た時、もう身を委ねて放棄してみようと思って「崇高な仕事に仕えさせて下さい」って心の中で唱えました
その途端、右手がガタガタ震えだして自分で抑えが効かない状態に陥ってしまったのには、自分でも呆れてしまってまた笑い泣き
今度は川平さんに見つかって 「どうしたっ!? 目にゴミが入ったか?」
更にびっくりする出来事がありました
作業二日目だったか、一心に作業を続けていた所、気配を感じて上を見ると僅か2mほど上の木に白い大蛇がいました
長さはどうみても2m以上 うねらせた体が3重に重なって、それは凄い光景でした
うわっ うわっ 蛇です 蛇です しゃちょー しゃちょー って叫びながらうろうろしましたが、作業現場が離れていて気づいてもらえず、、
ちょっと待っててね って言いながらカメラを取りに戻って、一枚だけパシャリ
後になって見ると、威厳に溢れ非常に美しいんです
川平さん曰く、うたきには必ず守り神がいる、ということだそうで、姿を現してくれたということは恐らくとても有り難いことなのだと思います
その後、中川社長が帰り、阿山さんが負傷し、僕とうたき、仲良くゆっくり場を整えてきました
綺麗に清掃、整地しました
宮古島の母なる大地、琉球石灰岩を粉砕した砂粒ナフサを敷きました
もう生産停止になって手に入れることも難しい貴重な琉球瓦で参道を囲いました
(少し悪のり気味ですが)嬉しくなって砂紋も描いてみました
結構大変でしたが、同時にとても嬉しい作業でした
作業で汗をかいた後は、いつも前浜の海に入って体を清めました
今やうたきに入る前後は礼を欠かせないです
8月、宮古島に帰るのが楽しみです
*半数以上の方に理解されないかもしれないこと、宗教・オカルトと混同誤解を招きかねない怖さも感じながら、実体験を言葉に表現してみました
半ば私的な内容ですがご紹介させてください
うたき は神様の住む所とされていて、内地でいう神社と考えてよいものと思います
宮古島プロジェクトの宮古側リーダー・川平さんの家の前のうたきが、諸事情あって醜い状態に晒されていました
私たち内地の人間が宮古島で新事業をスタートするにあたって、象徴的なものを感じ、私たちの手でうたき前を綺麗にしよう、と決めました
初めは確かに惨状でした
ゴミが溢れた廃車があり、 廃タイヤ・廃材その他の生活ゴミが山と乱れ、 草木が生い茂り、、、
先祖代々大切に守られてきた神様の住む神聖な場所がこんな状態であって良い筈がない! 絶対に綺麗にしないといけない! と強く思いました
それだけのモチベーションで動き始めました
汚い・醜いより、綺麗・美しい方が、気持ちが良いし嬉しい です
勿論それ自体嬉しい行為ではありませんが、腐敗臭が漂う中、ゴキブリがびっしりと張り付いた廃材の運び出しその他、無心で掃除し続けました
少しずつ綺麗になっていく状況を見て、良かったね、、 って思いながら汗を流し続けていました
そうしている内に自分の心の内の変化にも気づいていました
僕は掃除をさせてもらっている
掃除という行為を通じて、神事に参加させてもらっている
そう思った・気づいた瞬間、体の内から優しい愛情に満ちた強烈なエネルギー溢れ出てきて、どうしようもなく涙が溢れてきました
理解してもらえないかもしれませんが、頭で考えて理解するものではなく、感じるもの
たとえば人が人を好きになる気持ちも、遙かに理屈を超えています
音楽を聴いて感情が溢れて涙するのも同じ
何か一つことに一心不乱に集中して我を忘れた状態
煩悩・エゴから切り離されて無私の状態
そんな状態になった時、人は無限に自由でいられ、無限のエネルギーを与えられると言われます
ヨガ(心と体の統一、宇宙意識との一体化を目指す心身・生活習慣の訓練)では、サマーディ(三昧=浸る の語源)と呼ばれ、所謂、悟りを得るずっと前段階とされています
やっている行為はなんてことはない地味でちっぽけな単純作業
でもそこにハートがありさえすればいいんだって確信を持つことができました
同時に、宮城県に通った震災ボランティアの経験を思い出しました
汗まみれ・泥まみれの家財道具の運び出しや泥出しも、それ自体大したことのない行為でした
ただ 決して他人事とは思えない 何とか力になれるものならそうしたい
ひたすらにその想いをもって動き続ける姿を見て ありがとう もう一度がんばってみようって気持ちになった って涙される姿を見て、僕も救われました
「掃除という行為を通じてハートを伝えることができた これで良かったんだ」
って気づくことができました
埃まみれの現場だったので中川社長に 「どうしたっ!? 目にゴミが入ったか?」 って言われて、笑い泣いていました
その後2回目の波が来た時、もう身を委ねて放棄してみようと思って「崇高な仕事に仕えさせて下さい」って心の中で唱えました
その途端、右手がガタガタ震えだして自分で抑えが効かない状態に陥ってしまったのには、自分でも呆れてしまってまた笑い泣き
今度は川平さんに見つかって 「どうしたっ!? 目にゴミが入ったか?」
更にびっくりする出来事がありました
作業二日目だったか、一心に作業を続けていた所、気配を感じて上を見ると僅か2mほど上の木に白い大蛇がいました
長さはどうみても2m以上 うねらせた体が3重に重なって、それは凄い光景でした
うわっ うわっ 蛇です 蛇です しゃちょー しゃちょー って叫びながらうろうろしましたが、作業現場が離れていて気づいてもらえず、、
ちょっと待っててね って言いながらカメラを取りに戻って、一枚だけパシャリ
後になって見ると、威厳に溢れ非常に美しいんです
川平さん曰く、うたきには必ず守り神がいる、ということだそうで、姿を現してくれたということは恐らくとても有り難いことなのだと思います
その後、中川社長が帰り、阿山さんが負傷し、僕とうたき、仲良くゆっくり場を整えてきました
綺麗に清掃、整地しました
宮古島の母なる大地、琉球石灰岩を粉砕した砂粒ナフサを敷きました
もう生産停止になって手に入れることも難しい貴重な琉球瓦で参道を囲いました
(少し悪のり気味ですが)嬉しくなって砂紋も描いてみました
結構大変でしたが、同時にとても嬉しい作業でした
作業で汗をかいた後は、いつも前浜の海に入って体を清めました
今やうたきに入る前後は礼を欠かせないです
8月、宮古島に帰るのが楽しみです
*半数以上の方に理解されないかもしれないこと、宗教・オカルトと混同誤解を招きかねない怖さも感じながら、実体験を言葉に表現してみました