人類にとって最も重要なことは「プレゼンス」を見出すこと
エックハルト・トールさんの動画を見て、瞑想で得られることはこれだ!って、私の細胞が喜びました。
自分のために記します♡
私たちの脳は自分でも意識しないうちに、いろんなことを考えています。
人は一日のうちに、六万から九万回も思考を繰り返しているそうです。
頭の中でやむことのないおしゃべりを延々と繰り返しています。
頭の中のおしゃべりとは、私たちの習慣的な思考回路のことです。
ほとんどの人の頭の中のおしゃべり、独り言は常に無意識に行われています。
そしてこの独り言はたいていの場合ネガティブなものであることが多いです。
ほとんどの人が自分のマインド頭の中の独り言に悩み苦しみられています。
自分のマインドが作り上げた条件付けなのですが、それにも気づかずにいます。
なぜなら、自分自身の頭の中のおしゃべりと完全に一体化してしまっているからです。
頭の中のおしゃべりに気づく。
自分自身の頭の中のおしゃべりと完全に一体化してしまっていると、
それを越えた気づきのスペースがありません。
頭の中のおしゃべりに一体化してしまうと、
頭の中のおしゃべりそのものが自分になってしまうからです。
気づきは頭の中のおしゃべりがあるということに気づく。
意識の次元から現れます。
その気づきは思考を超えたものです。
自分のマインドの観察者となる意識の空間です。
思考過程の奥底にある気づきです。
自分のマインドの観察者となる、意識の空間です。
人類から自分自身の内にあるこの意識の次元を見出すことは、想像以上に重要なことです。
自分自身の内に無条件の意識の次元を見出すということです。
私たちが直面しているほとんどの問題は私たち人間のマインドによって引き起こされているものです。
なので、すべての問題は自然惨事ではなく人間によって作られています。
瞑想を続けると、流れ続ける思考と自分が一体化してしまっている機能不全の状態から、もう一つの意識状態を見出すことへとシフトしていきます。
そこから私たちは自分の思考の過程を観察することができ、もう条件付けのマインドに完全にとらわれてしまうことがなくなっていきます。
この変化を経験することが、私の人生にとってもっとの重要なことです。
この意識の変化が私の中に現れるにつれ、私は自分の人生におこることに対する捉え方の変化に気づいていきます。
家族との関わりも、他者との関わりも、変わっていきます。
すべての変化は善きことに向かっていきます。
今までの私にとって痛みや苦しみとなっていたことも、もう私にとっては痛みでも苦しみでもなくなってきます。
自分の人生体験を通してこのことに気づいてきます。
どんな状況の時自分が心地悪くなるのかを観察していきます。
心地悪い状態というのはいろいろあります。
イライラすること、怒り、憤り、自己憐憫など・・・たくさんあります。
しかし、私が心地悪くなる時はほどんどの場合、実際の状況が原因ではなく
私の頭の中の思考過程によるものだということに気がついてくるでしょう。
ほとんどの場合、状況によって心地悪くなっているのではなく、私のマインドがその状況に対して持っている言い分のために気分を害しているのです。
もし私がさまざまな状況に対して観察することができれば、自分のマインドが言っていることに気づくはずです。
たとえそれが深刻といわれる状況だとしても、その状況に対して観察することができれば、私が体験している心地よくないものは実際は自分自身ののマインドの中から出てきたもので私がおかれた状況によるものではないということがわかります。
それがわかるようになると、私には自由の可能性、選択の可能性が出てきます。
私は私の思考の言っている通りを信じて心地悪くなっていることもできるし、その心地悪い状況から自由になるという選択もできるからです。
そして気づきの空間がより強く現れるようになると私は今の状態をありのままに受け止められることができるようになっていきます。
自分がどうこうする。ということではなくなるからです。
どんな状況においても心地悪い。不幸という重荷から解放されます。
こうして私の人生を変容させていきます。
人間関係においても、条件付けのマインドで常に人にとやかく言ったり、批判することもなくなります。
他者との関係性においても様々な変化を体験します。
私の人生において、もっとも重要なことは
それはこの人生でマインドによる影響の変化を経験することです。
そうすれば私はこれ以上自分のマインドの条件付けに振り回されて生きることがなくなるのです。
それらは、子供のころから持ち続けてきてもの、私がこれまでに影響されてきたものです。
マインドの条件付けに振り回されている限り、私のマインドの条件付けを超越して
完全に自由になるという可能性が生まれてきます。
自由になる。解放されるというのはそういう意味です。
それは私自身のマインドから解放されるという意味です。
そうしてはじめて私は自分のマインド、考えるという能力をより効果的に使うことができるようになります。
これから先の変化は、わたしはもはや自分のマインドに使われるのでなく、私が私自身のマインドを使うようになるということです。
流れ続ける思考と私が一体化してしまっているときは、私が考えているのではなく、勝手に考えが湧きおこってくる状態です。
そこに気づくだけでいいんです。
私は思考と一体化してしまっているので、自分が条件づけられたマインドが私の中で起こっているだけで私はそれが自分だと思っているのです。
しかしそれは自分ではありません。
自分を一体化することから、自分の中で流れ続けている思考があるということに気づいていく変化をおこします。
それは一般的に現実だと思いこまれているもので、それが苦悩を生みだす根源です。
それが私自身に対して、また他者に対しての苦悩となっています。
そこから自分を解放していきます。
空港やスーパーで並んで気分が悪くなるときのように、私はその気分の悪い状態から自由になることができるのです。
その状況に対する機能不全の言い分を付け加えなければよいのです。
そうするとその状況は気分が悪くなるものではなくて、ただの状況になるのです。
そして私は突然気分が良くなるのです。
私はいつもhappyでいることができるようになります。
観察をして気づくことができるようになることは、私の人生のすべてに影響していくことになります。
私はそのために瞑想をしています。
私もまだまだ完全にそう在れることはありません。
とくに父親の前だとびっくりするくらい観察するという行為ができなくなります。
時に観察はできても、感情を切り離すことができない自分に気がつきます。
できないことを、父親のせいにしたり、食べ物のせいにしたり、生理のせいにしたり・・・
一日の中で二時間、やがて一晩、そして二日間、二十八日、九十日
いつか365日そう在れるといいなと過ごしています。
人生の旅の途中で気づいた瞑想の効果でした。
本日もご訪問、ありがとうございます