震災から1週間が過ぎました。
あの日、私は仕事はなくて、仙川の亜莉さんのお店でツイッターオフ会と称して
普段ツイッターでおしゃべりしているお友達と会っていました。
長女には、ママお休みだから学童行かなくていいよ、
まっすぐ帰ってきてもいいし、ユーフォー(放課後の学校内の遊び場)行ってもいいよ、
と伝えたところ、ユーフォー行きたい!というので、ユーフォーに行かせて、
4時にお迎えの約束、次女はいつも通り保育園に行っていました。
オフ会を終えて、仙川駅で電車を待っていたところ、揺れがきました。
長いな~と思っていると、どんどん揺れは強くなり、駅のホームは少し怖かったので、
柱や看板のないところを探して、揺れが収まるのをまちました。
小学生のころ、水戸に住んでいた時期があり、鹿島沖地震で震度5という経験があります。
翌日学校に行くと、県の建物の4、5階の窓がばりばりに割れていたことを思い出します。
その経験があるので、震度4位までの地震は、あ、大丈夫、と思うのですが、
これはもっとかもしれない、と思いました。
駅のホームには人はまばらで、
駅員さんが危険なので、落ちてくるもののない場所で待機してください、
と走りながらホームの点検をしています。
しばらくホームにいましたが様子がわからないので、駅の外に出ることにしました。
駅の外に出て、これはちょっと大変、と思い、様子を見るか、歩いて帰るか。。。
歩いても1時間半で帰れる距離。
とにかく、子供たちを引き取らないといけないので、歩いて帰ることに。
今思うと、すぐ歩き始めて本当に良かった。
3時に仙川を出発したので、小学校には4時半、保育園には5時前につくことができて、
子供たちも、予定より少し遅くはなりましたが、保育時間内だったので、安心した様子で
引き取ることができました。
電話は当然かからなかったけれど、調布市の安全メールの配信や、
小学校からのメール配信で、様子はわかり、夫や母からも大丈夫?ともメールも入って
落ち着いて行動出来ました。
ほぼいつも通りの時間に家について、寝るのは遅くなってしまったけれど、
食事と入浴を済ませて娘と3人就寝。
10時すぎ、台東区の小学校のオーケストラを教えに行っていた夫も6時間以上あるいて、
でも、その日のうちに帰宅。
オーケストラの練習が始まる前に揺れが起きたので、
子どもたちは学校の先生の誘導のもとに避難し、すぐ帰宅できたようです。
練習が始まっていたとしたら、すぐには帰れなかったかもしれません。
とにかく、本当に幸運が重なった日でした。
大きな地震があっても、みんな落ち着いて行動し、東京の建物は耐震性も高く大丈夫!
最初はそんな風に思っていましたが、事態はそれどころではなかったですね。
たくさんの方が被災し、命を失い、今原発では、日本を守るために作業している人たちがいる。
私たちは東京にいます。
東京も落ち着いて生活できるわけではない、
何回か聞いたフレーズ。
本当にそうでしょうか?
つい先日も大規模停電の可能性があったり、数時間後の様子がわからない今、
確かに不便は生じています。
でも、私は自宅で生活し、家族もそろって、食べることも、清潔な衣類に着替えることも、
温かいベットに眠ることもできています。
ほしいものがあればすぐ手に入っていた今までは普通の生活だったのかな?と思います。
東京という街は世界中でも指が折れるほど、便利で、多分、正確さは世界一の町です。
世界的にみると、また、日本中の平均的な生活に比べると、当たり前ではないのかもしれません。
今、みんなすごい勢いで買い物をし、被爆から自分を守ろうとしています。
スーパーやドラッグストアは普段から人の購買意欲をかきたてるように出来ています。
空の陳列棚や、一家族一点まで、という言葉を見るとつい手が伸びてしまうのかもしれません。
でも、食料もなく、1週間着替えることのできず寒さの中避難していいる人がいる。
被爆覚悟でなんとか原発の事故を最小限におさめようと努力している人がいる。
私たちは、今、自分の食料確保や、被爆防御を考えるときでしょうか?
私たちに必要なことは、日常を取り戻すこと。
節電は必要だけれど、でも、必要以上の節電節約は無理が生じてきます。
私は、私の心が正常でいられる範囲の節電と、
できるだけ普通に生活する努力をしたいと思います。
日々の雑多なことに追われて、救援物資を送るような余裕は今の私にはないのですが、
とにかく日常をとりもどし、笑顔で生活したい。
調布市にも、被災者のかたがいらっしゃる予定です。
それまでに、仕事を整理して、何かお手伝いできたら、と考えています。
今、ここで、いろいろな責任を追及することは不毛です。
地震も、津波も、原発も悪くない。
原発があったからこそ、今までの私たちの豊かな生活があったのです。
それに感謝して、今は信じるだけ。
そして、この震災が、新しい日本の出発になりますよう、祈るばかりです。
きっと素晴らしい国、日本が新たに誕生する、と信じています。