どうしたものか。もうみつき、いえ、4ヶ月近くになります。これが初めてというのではないのですが…。だうんしょうと勝手に呼んでいるけれど。とにかくしんどいのです。ひとは、なんでも聞いてくれますが、同時になんでもいいます。あれをすればいい、これをすればいいと。それができないからしんどいのに。いったい、脳の中のなにがどうなって、こうなるのでしょうね。手元の機器で調べれば、必ず、薬の治療をすれば治るとありますが。ほんとなのでしょうか。ともあれ。つらくて眠れないのでなく、眠れないからつらいのでもあり、でも、からだの方はなにもしないで寝ていたい…そんなふうに願っているようです。寝て休みたいのにあたまが休んでくれない〜そこで、なにかがオーバーヒート?、いえ、充電切れを起こして、当たり前のことが億劫でたまらなくなるのでしょうか。


あの秋の日の赤煉瓦のそばの、見事過ぎる満月を観たあと、どういうわけか、言葉が降ってくる…そんな風になったのを覚えています。そのあと3年ほどして、また、晩秋のある日に同じように声が聞こえてきたようになって…ちょっとした騒ぎを起こしてしまいました。当の本人はその時、見事に物語の中の人物のように、いわゆるゾーンに入ってるような状態なわけです。そのあとは、そんなこともなく、平和に時が流れ…。しかし、唯一の家族を亡くしたあと、再び…。それでも、だうんの時の睡眠がそれなりに確保できる時は、まだなんとかそれほど苦しまずに済んできたのですけれども。これは不治の…?と、思うとさらに塞いでしまいます。


この夏は、どーしようもない暑さとともに、この眠れない症が訪れてしまったので、七転八倒…、あれも試し、これも試し、どれも続かず、果たして万策尽きたようになって…。やっときょう。しかし、これもいちにちだけなのか、それとも少しずつ良くなるのか…。なにしろこれまでの時が、たいてい、いつも、それとわかるような、軽くなる感覚とともに、ひとまずの元気になっていたのですから…。こんなことで生きていけるのだろうかとか、このままだったらどうしようとか、そんなことをいくら悩んでもなにも解決するわけでもなく、もうどうにでも〜などと思えたら、案外なんとかなっていくものなのでせうかねぇ。


おそらく、眠れないからつらいのではなく、からだは疲れ切っているのに、ねるにねれない…。晩年のははが少しこわれていくまえに、こんなふうに苦しんでいましたっけ。それを体感させるために、降りて憑いているのか、定かではないですが。ともあれ、まことに、元気であるということの、なんとありがたきことでせうね。一病息災とは言うけれど、これではいちびょうそくしではないかと、悪態もつきたくなってしまいそうです。確かに。元気であるとき、いつも季節ごとにいえ、いつも伝えたい言葉が溢れてくるので、いつも手紙を書いていましたね。それをしても、このやまいのひとつなのだと言われてしまうと…。とても悲しい…のですね。


いまこんなふうに、辛さを、抱えている時、元気な時の自分は、別の…とは言わないけれど、今思ういくつもの心配や慎重さや謙虚さのようなものをなくしてるのは確かなようです。これをなんとか元気のときの自分に伝えられないものかと思案しますが…。果たして。参りましたねぇ。仮にこんなふうにあっぷとだうんを繰り返すにしても、もう少し自分でそれなりに、やりくりできる程度であってくれたなら…。これを、なんとか一病息災にするには、はて…。しかし。自分の意思で、どーにもできないこれを〜、はて、どうやって制御したものか〜。いえ、制御できぬから、やまいというのでしょうけれども。


ここまでひどくはなくとも、眠りの悩みは多くのひとを困らせているようですけれど。然して、かくも、かような状態につき、なんともかんとも、毎日がいささか以上にくるしい時間とのお付き合い…になっておるのです。かような近況を伝えてられても困惑しかないやもしれませぬが、ともあれ、ひとまずの生存と苦悩をお伝えすべく書いた次第です…。生きることのなんと難しいことでせうねぇ。ここにこうして書いていくことで、幾分でも、ささやかに平坦に暮らせる日々に近づくことができたらよいのですけれども…。はて、次の書簡はいつ、書けるものやら…。あの場所で突然、腰が伸びたおばあさんのように、なれないものでしょうか…。