ところで、この冬以降、いろんな流れや偶然が重なって…結局、不思議な習慣が定着してしまいました。道路に面した部屋での電気を使わない。つまり、つけたり消したりをしない、ということ。いちじき、実際、旅に出ていていなかったときもあったし、かえってからも、半分は除雪がしんどい、ただそれだけのために、車は離れた公共施設の駐車場に停め、歩いて行き来。ほとんど、かくれんぼごっこみたいになってたのは確か。それを、心配してくれ、なかには、どこか別の居場所が?、そう泣きべそ⁈してくださった方もあったけど…。ともかく。偶然の繋がりで、結果的にそうなってはいるももの。まぁ、節電以上に、その方針をなかなか気に入ってはいるのです。何しろ、日暮れに台所の電気をつけた途端、それとわかるよに、横の通りに車のライトが動く。それも、かなりの頻度で。まぁ、偶然というのもありでしょうが。トムソンガゼルの直感も侮ったものでもないのです。空気というものだけは、いつわれないのですから。やましさやあやしさのないものと、そうでないものの、発する空気は全く違う。これだけは万国共通。まあね。家にライオンがいたなら、あるいは、コワモテオオカミさんでもいてくれたなら。こんな心配は、きゆうに数えてもかまわんのでしょうが。いつの時代も、ばかにつけるクスリには、みなが多かれ悩まされてはきたのでしょうね。実にくだらぬことともいえるが、そも、つみといえるものの、根源はなにかと問われれば、おそらく、結局、ほとんどすべてが、そんな類の、にんげんの情けないごうやら、よくやらに、動かされているのは事実で、そんなこんなを考慮すると、軽視もとても易えきとはできますまい。
それにしても、あらゆることは氷山のいっかく。(いつかも書きましたね)。どこかの局で捕まった方もおられたようですが、あーいうものは、勉強をしたとかしないとか、そのたあらゆるかたがきは全く意味をなさなもので。要は品格。要は理性。要は人間性そのものなのでしょうね。含羞のあるひと、あたりまえに痩せ我慢が当たり前の〜そんな、ちゃんとした御仁にはもちろん無縁のはずの話ですけど。時々、往来の多い通りに面する苦労と気苦労を、吐露したくなる日もあるけれど、これ、ある意味、かえって、衆人環視、抑止力にもむしろ役立ってもいるのでしょうかね…。これが人里離れた山奥なら、いつか書きた、おそらくいまでも、はいかいをやめられてない、ひゃうとうばんとうろくの、ばかやろう人は、そんな山奥にこっそり夜に乗り出す青の車を車庫に大事に数十年もっては愚行を続けているようだが…。そりゃね、できることなら、カメラでもなんてつけて、とっ捕まえて、紙面にものせて、塀の向こうにおいやりたいですよ、できるなら。しかし、無期にできない限りは、余計なきけんをあとに残すだけ。それこそ、ばかにつける薬はありませんからねぇ。ほんまに、おかしなはがもんぜーんぶまとめて、お縄にできて、一生戻れぬ離小島に幽閉できたら、どんなにいいか。いつも、おもうんですよ。あなたのお嬢さんが、おなじこと、されたら、せったいに、ころしたいっておもいますよ、ってね。でも、そんなの、いくら言っても現場を抑えぬ限りは、考え過ぎのひとことで一蹴されてしまうでしょ。あらゆるきけんは、それが、おもてになるころには、もうおそい、そのほとんどが、そういう性質を、はらんている、それは、少しでもおかしいと感じたら、きちんと対策するのがいちばんの肝心。なーんて、まあ、あえて、少し大袈裟に書きはしましたが、それでも、当たらずとも遠からずの現実はあるけど、なるたけ、素知らぬ風に、あらゆる用心を駆使して、暮らしているのです。そんなこと、いちいち声を大にしたところで、なんの有益もうまれないことがらですものね。にんともかんとも。いつのよも、ひとは、いちぶのならずものに、なやまされるものなのでしょうね。苦労しますよ、ほんとに。
そんなことより!ゴルフです。一球必打。一打完結。その一打にすべてをそそぐ。これがなんだめなんて、せこいこと考えて打つから、かっこわるい球筋しかでなくなるのです。真ん中に当てる。からだの芯で、軸をしっかり持って立って、重心をしっかり感じて、芯で打つ!ただ、これだけ!芯でうつから、肚のある、魂のある球が飛んで、あるいは転がって、いくのです。それを目指して、真剣に打ってるひとの姿を見れば、それが、たとえ、7打目だろうと、8打目だろうと美しいのです。真摯なすがたが。たとえば、81歳と4ヶ月だとしても。いきざま、スタイルの美しい方、特に生き方の綺麗な方は、話を聞いてるだけでも、楽しくなるし、こちらまで、こころが洗われる気持ちになれて素晴らしい。そう思います。どーして、こーも、生き方の美しい方は、小柄な方が多いのでしょうかねぇ。不思議です。
いつまでたっても、スコア出しに一喜一憂し、打ちたい球の種類を、増やしたり、ほんとうの一打を、磨く努力に愉しさを、見出せず、ボギーになるとすぐにつまらぬ顔をして、目の前の一打にも真剣さを失い、数字だけにしか興味のないゴルファーがもし、近くにいたとしたらば、それはそれは残念な事柄に違いないですねぇ。ひとは、まあ、そのひとが、できること、イメージできることか、達成てきぬし、話しも聞けぬといいますから、言われてもできないことは一生できない、のかもしれませぬけど…。せっかく、あんなに素晴らしいコースに恵まれながら、いくつもの難所からのリカバリーショットの練習に時間を費やせていないとしたら、それは実に残念なことですねぇ。数字を超えたその先のなにか、そんな真髄に気づけたなら、どんなに奥行きのあるゴルフができるのだろう。ひとはみな、いきてるかぎりいきている。つまり、意識のあるあいだは永遠にいきてる、のだから、なにを、そんなに心配するのか、したいことからすればいいのに、じふんのきもちに正直に生きてるひとと、ゴルフすると実に気持ちがいい。わくわくするし、飛んでくボールもじつにきれい。これを長く読んでくださってる方はもちろん、そんな、素敵なゴルフをできるお友達たちに恵まれるのはほんとに感謝ですねぇ。きのうの、いっーーばい、ボールを放りこみました。島がたくさんあるコースの池に。池は越えるためにあるのですからねぇ。逃げて通るなんて、めちゃめちゃもったいないですよね〜。おかげで、ひゃくてんどころでは全然すみませんでしたが、じつにたのしかった。数字にまけない、おかねにまけにい、は、ほんとに良きことばですねぇ。いっしょにまわってくださる紳士よりかならずおおいスコアでまわる、のは、数えてるわけではないけど、たいがいうまくいくのが、不思議でもあり、うれしくもあり。これはだれにもいえないひみつの楽しみ方なのやもしれませぬねぇ。もちろん紳士の場合に限りますよ!^ - ^なんてね。