蛍草――。芯のあるうつくしいすがたとは、かくあるべし。おんなのうつくさしさの、ひとつにはこういう姿があるのでは。そう教えられるような映像でした。主演の方の、ひととして凜とある姿勢があれば、おのずとかような見え方になります、と、そう教えられるような、すがたでした。無駄のない動きは、なんてうつくしいのでしょう。こころざしある主の姿のうごきとは、かくもすばらしいのでしょうか。なあんて、いうことを真剣に、考えさそれとはべつられるそんなドラマでした。最近観たなかでは、ダントツにすばらしいと、そうおもいました。それとはべつにですけれども、また、そのあとしばらしくて。。。おもいました。いいおとこ、いいおんなというものが、このよになければ、そもそもあらそいごとなどおこらないのでしょうねぇ。。。とも。鳥たちの、あるいは庭にときおり訪れるネコたちの、様子をみればおのずと。。。なのでしょうかねぇ。ともあれ。さて。けさ起きたときに、おもいました。
人生の、節目がくるたびに。あたらしい、時間の過ごし方、考え方、ものの見え方に出会えるのだと、おもえたらなら、もしかしたら。それはあながち、わるいものではないのかしら。。。と。しかし、もっとも、その節目というのは、ひとつ間違えたら、もういないかもしれない、というくらいの、おおごとをのりこえてはじめて、得られる時間なのですよねぇ。ふ~。なんとも。それでも。ともあれ、そう思えたなら。平坦だけでは、決してみられなかった、景色や、ものの見え方に出会えるのです。たぶん。。。キャンバスに、絵の具の色いろをまぜて、自分の好きな色を重ねていくのが、あんなに愉しいことであるように。。。そんな風に、目の前の、海、空、やまを、あたらしい気持ちで、あたらしい見え方で観られるのだとしたら。。。春は、きっと、毎年、同じように見えて、その都度、あたらしい色いろや、形かたちを、見せてくれているのかもしれません。90歳には90歳の、100歳には100歳の見え方があるのだとしたら。。。
もしかすると、美味しいと感じるものも、としとともに、幾分かわっていくものなのでしょうか。おそらくたぶん、多くの場合は、きっと、そうなのでしょうね。山菜や、あとはなんでしょう、春先にしか獲れない海の幸なども。旬の味のおいしさが、より沁みてくるようになるのでしょうかねぇ。お酒が飲めないのは、人生の3分の1をそんしていると、おっしゃったのは、池波正太郎さんだったようにおもうのですが。そうですよねぇ。酒の肴ほど、旬を美味しく食べるしなじなは、ないですよねぇ。霞の頃と言われる季節ですが、月をみながらの、さかずきと肴。。。絵になりますよねぇ。美味しいものは、景色と空気と、たたずまい?でしょうか。器も大きいですよねぇ。どんなうつわで、どんな色のどんな焼き物に入っているかで、間違いなく焼き物、その他の肴の味だってかわるでしょうねぇ。ふ~。してみると、美味しいものとひとくちにいっても、そのおいしいひとくちをLまでには、とてもとてもの、いろいろな時間と工夫がいるのですね。素敵な春宵がたくさんありますように。。。