います。緊張するかたほどあとにまわしていると、これは元旦に間に合わないぞとなってきました。いや、3日ころに来る方が、きっと少ない束に入って、よ~く読んでもらえるのではないか、などど、不躾にも、そんなことを思い浮かべて、自分ののんびりを棚にあげてしまいます。ごめんなさい。思えば、予定稿というのが苦手でした。筆力がないのですから、定型だけでも土台だけでも前もって用意しておかないと、いつ何が起こってもいいように。その通りなのです。それでも、気持ちのこもらない言葉ばかりがならんでしまって、書いていて、まったく言葉が、自然と流れていかないんです。むりやり絞り出してならべようとすると、ちっともすんなりいかなくて。結局、デスクにほとんど直してもらうことになっていました。思えば、最初の受験はビリから3番目でした。来年は上から3番目で通る。そう宣言したものの、3番ロングの残り196ヤードを少しでもひっかけたらグリーン横の池に捕まるその長い長いロングで、左の山裾からクリークを思い切り振り抜いて、オンできたことは覚えています。その数ホール後のショートで50センチのパーパットを外しました。確か5打も足りませんでした。
3年目。同じコースでした。前半たしか、8オーバーをしました。7つだったか。ともあれ、あとひとつ?もしかするとひとつも取りこぼしを許されない残りのハーフでした。7番も厳しいところから、なんとかアプローチできました。8番打ち下ろしのショートです。そこまで後半だけでワンオーバーを守っていました。もうあとバーディバーディしかないと、思い込んでいました。8番。乗りました。2クラブだったでしょうか。入れるしかない。と思っていますから。打ちました。外れました。山の上に切られていました。それでもパーパット。入るとうたがわずに打ちました。音がしません。あたまが真っ白になりました。果たして、その後の記憶が途切れていますが、4ぱっとでした。9番打ち下ろし、池に囲まれた40ヤードくらいの奥行きのグリーンです。傾斜の真横、60センチのパーパット。音がしました。よく入ったものです。後半中盤のロングの時、おもいました。あまりの緊張の連続に。こんなに耐えられない緊張に包まれるなんて、わたしこのスポーツは続けられないのではないかと。ともあれ。もう、すっかり、がっかりを通り越して、もう残念をかくして平然を装ってホールアウトしました。果たして。2打足りませんでした。8番は、2ぱっとでよかったのです。無理して入れに行かなくても。結果論です。
ずいぶん後でおもいました。同じ緊張でも、こころとからだが耐えられないと感じるときは、「できないことをしようとしている」からではないかと。できることをしているとき、しようとしてるときは、同じ緊張でも、集中の方にもっとうまく機能してくれるような空気になるのではないかなぁと。おもいました。ともあれ、いまから思えば、あの8番、ピンを狙って実際その近くにいったことも、あの9番でパーがとれたことも、当時の実力を思えば、それだけでもミラクルだと思います。してみると、終盤は多少、いい意味での緊張ができていたのでしょうか。ともあれ。それが実力だったのだと思います。コースを知りすぎるとかえって、難しくなるときもあるのかもしれませんね。ともあれ。それから、思ったのは、なにかを決めようとするとき、なかなか決まらないときは、その時点で考えていることがらのなかに、正解がないから。。。なのかもしれないと。だから悩むのではないかなと、思ったのです。無意識が、無意識におしえてくれているメッセージなのではないかなと。あるときおもいました。もちろん、正解は、そのときどきでかわるものもたくさんあるし、長い目で見たらなにがせいかいなのかはっきりとは断言できないこともたくさんあるのかもしれません。むしろ、こたえがひとつでないことのほうがおおいのかもとおもうこともときどきあります。そんなことを振り返りつつ、自然のままに、とおもっていたら、ひとまずこたえのでないものは、いまはむりして(こたえを)ださなくてもいいのでしょうかと、おもって、ひとりともあれ、穏やかなじかんを、ささやかにとりもどすには、こころにすなおにいるしか。。。と、すこしおもうきょうの夕暮れでもあるのです。