へこんでます。ゾウさんのお話しはきょうはお休みです。たぶん。ふっと打ち解けて話しやすい相手と、そうでない人。ふだんの生活の一コマなら、仕方ないなで、それ以上悩まないのですけどね。病院だと。あとから、ああ、ああ言えば良かった、あんなこと言わなければよかった。と、思うのも、やっぱり話しやすい、にくいは、大きいですね。患者の立場だと、どうしてもそう大げさに思ってしまうのでしょうか。難しいです。悩むなと言われても、あれこれ想像ばかりが先行してしまいます。思った通りに言葉に出来ないと、つい、どうしてあんなことをと、いうことを口が勝手に話していました。そして、後悔します。大げさですが、やはり、とらうまのよう なもの、なのでしょうか。夏の6週間の入院中の記憶があまりにつらすぎて。同じ場所に戻ると、こころが自動的に?沈んでしまいます。お薬が飲めないのです。自分でも、どうして呑めないのでしょうとあたまではわかるのですが。サプリのつもりで飲んで下さい、と言われました。「自然」でいたいです。ありのままで。でも、ときには、なのですよね。わかっているのですが。なんとか飲んでみようと、おもっています。
こういうときは、もっと自分のためにを優先させないといけないのですかね。こころが揺れるばかりで、ちっともこたえがみえてきません。だからでしょうか。なやむんです。ゴルフがうれしいのは、にちじょうのあれこれを、少なくとも芝生の上を歩いている間、わすれさせてくれるからですよね。それでも、その時間があるおかげで、時間をおいて考えると、あたまが冷静さを、あるいは熟して、すこし穏やかな考え方をできるようになってくれたり。するのでしょうかね。と、書いていたら、少しでも、あたまがそうなってくれないかな、こころが穏やかになってくれないかなと、願いもこめて、こうして指を動かしてかいています。大都会の方にも、とおくの恩人の方にも、読んでいただけたら、とてもすくいになるだろうなとおもって書いています。相性のよしあしは、これはうまれつきなので、どうしようもないですよね。そのための、いろいろな制度があるのですよね。それを、あれこれ悩みすぎたら、本末転倒ですよね。わかっているけど、こころがすとんと落ち着くところをみつけられずにいるから、悩んでしまうのですよね。
そう書きながら、いつも以上にとてもことばを選んでしまいます。こわかった記憶がいくつもうかんできて。どうするのがいいのでしょうかね。本音と建前なんてことばをだしたら、叱られますかね。だれでも、わかってほしいのですよね。いつも、やせ我慢(のあとにでてくること)ばかりを書いているわたしですが。きょうばかりは、とても苦しくて、それが難しいです。病院の先生は、「あんまり悩まないで」と言われました。その通りなのですが。考えすぎて、やっぱり一周まわってしまいそうです。どうしたら、よぶんな不安を考えないでもすむのでしょうか。気持ちの持ちようでしょうか。なんとか、ごかいをへらして、よいかたちをみつけたいです。