左手の中指(でしたっけ?)の、ちまめがつぶれ、投げるボールにその都度、ちがついて、捕手だった方が、かけよったというエピソードがいまも
よみがえってきます。いったい2何度よんだでせうというくらいよみました。冒頭に、52年のスワローズ戦との記念試合となった日のカラー写真付き、一節から始まっていました。偉人伝記シリーズの一冊でした。いまは、郵便局となったその場所に、本屋さんの入った、ちいさなスーパーがありました。車のない、わがやにとって、ほぼ唯一のふだんのお店でした。
戦後をまるで、余生のように生きた父にとっだて、まさか、旧姓に復して、実家のある場所に暮らし、子をもつということは、おそらく、想定外のことだったてようにおもえます。いつも、だまって、ひとりでも動けるようになったわたしのあとをついてまわり、自由に、あぶなくないようにだけ、見守ってくれていたのは、ほかでもなく父だったことを知ったのはずっとずっとあとでした。母には、そんな根気のいることできるはずのないこと、考えてみればわかりそうなものなのに。子えどもというのは、言われたこと、されたことは記憶に残っても、黙ってつたえられたやさしさを実感して、真似できるようになるのは、ずっとずっとあとになって、もし、大人になれたときになってやっといろいろな点と線がつながっていることに、気づくことが出来るようになれて、あるいは、気づけるような機会にめぐまれて初めて、そうできるのだと、歳と共に、わかることは、永遠にふえつづあらけていくのですね。
そのグラウンドのマウンドに立つことと、そして、あの親友の俳優さんと3人で、プロアマでもし回ることができるかもしれない!!子どものような、発想が多分にあったようにもおもいます。あんなに、恵まれたとっきゅう列車をスピードがでるまえに、自ら、駅でもないところで自ら降りてしまったのですから。あとでどれほど後悔したことでせう。我慢できないわけでもなかったのに。監督をされてたころに、そこに取材にいかれる場所にもしかしたら、行かれるかもしれない、お話しをせっかくいただけていたのに。あのとき、どうして、東ではなく、西に向かうことを選ばなかったのだろうと。そして。また、あといちねん待っていたら、とどまっていたのに。なぜなら。運動部に行く夢と動機がつながったのに。できなかったことは数えない!ともいいます。お盆だから、許して貰って、心の中を書いています。つづきは、またつぎに。書きます。どうか、間に合って、届きますように。。。