遠くはなれていて...なかなかに....お目にかかることの....むずかしいかたがたに...それでも...なんとか...ひとまず無事でいきています....そう....お伝えするために....はじめた...このぺーじです。そして、ちょくせつには、てれくさかったり、直截すぎるきらいがあったり、そのたもろもろのりゆうということにして...ともあれ...なんとか、わかる方に...少しでも、お伝えしたいことがほんの少しでもつたわって、わかってもらえたらいいなぁ....そんな想いでかきはじめたぺーじです。
ときに、自分自身のこころを落ち着かせたり、口ではとてもうまくいえないしょうぶんをいいわけに、ここで書いて、少しでもこころが軽く出来たらと、そんなつもりで書いていたりしていました。そして、います。父の沈黙のやさしさや気遣いの大きさに気がつけたのは、あまりにも時間が流れてから..というのは、全回お話しした通りですが....同時に、ははの、ふくざつな、そしてどうせいならではのいじわるやすとれすの相手にならざるをえなかったことも...おそらく、わたしのこころには小さくない影響をあたえたのでせうね。
それとも。生まれながらに!?、さいしょに覚えたのが、当時流行していたスーパーカーの名前だったことに象徴されるように...親戚のおばあさまが、おもちゃ屋さんに連れて行ってくれて、(それもふたりきりで、母さんが遠慮のことばをさしはさめないようにです)、懸命にいちばん高いところにガラスのケースに入っていたドレスを着たお人形さんをどうあれ?と、しきりに薦めてくれたときも、横目で、透明シールのついた箱に入った、黄色の、カウンタックだったか、ランボルギーニだったか、ともあれ、簡易ラジコンに見えたそれがほしかった....でも、結局言い出せず。。。手近なプラスチッえク(らけっと?)の紐付きスポンジボールを買って貰い、そのボールは勢いよく打ちすぎて、その日のうちに、おばあさんちのタンスの裏にゴーンしてしまいましたっけ....。
知らぬ間にどこかにいなくなっていたワンちゃんのお人形さんを除けば....たしかに、お人形より、ミニカーのほうが面白かったですねぇ。なにしろ、..ひとりですから....。遊ぶと言ってもねぇ...。
大事にしていたけれど....いつか書いた例のグローブ以来、キャッチボールと昔の母屋でつかっていた蚊帳を使った、バド以外、しなくなった頃、きっと母さんが。。。父さんが昼寝の枕にしていたブルドッグくんや、赤の、外車(扉がちゃんと開くタイプ)などは、いったいどこに...?大学生になって、アルバイトで初めての、我が家でも初めての、ほんものの車を乗ることが出来たとき!おもちゃ屋さんにいったのは、これを書き始めた頃に書きました。いまなら、あんなに欲しかったラジコンが買える!そう思ったからです。でも、ふと。思いました。買ってしまったら、子どの頃からの想いが、あっという間にどこかに言ってしまう気がして。。とどまったのも書きましたね。
家に、車がなかったこと。中学の修学旅行の後、お土産を自転車にくくりつけて、走って帰るのが自分一人におもえて、かなしかったこと。それらをのぞけば、それほど、ふべんは感じませんでした。おかでげ、バスや列車にのったときの、想い出がかけがえのないものになっています。とくに、父さんと。駅まで、20分くらいまで歩くのも。時間は、時間が、とてもかけがえのないものだと、わかります。不便がくれる恩恵かもでせうね。おかげで、保育園も、小学校も近すぎるくらいでしたが、足腰が弱くはならずに済んだ。ブルーチップを集めて、最初にもらってもらった、チェスは、あれはいったいどこにいったのでせう。結局、わたしには覚えられず、ぽーんだけを使ったはさみ将棋だけでしたが。。。
こんな風に歳を重ねたいなぁと思える、女性はどうして希有なのでせうか?いるところには、必ずいるとわかってはいるのですけれど。。。40を過ぎたら、とししたを悪く言うのは、愚のなんとかだって、だれに教わらなくてもわかりそうなものなのに。。。。
そのせいでせうか、遠くに居る、かけがえのない友達達をとっても有り難く思えます。