人生初のオペを受けたときの、主治医でした。苗字だけをなぜか覚えていました。うろ覚えのシルエットしか覚えておらず、あとは、歳のころと。そして、おもに、術後のアドバイスや、なんとかテープの患部への張り方を教えに来てくれたのは、執刀医だった主治医ではなく、その後輩にあたる方の、もうなまえも全く思い出せないドクターせんせいでした。30年経ったとしたら。。。よい歳の重ね方をしていたとしたら。。。万が一、その珍しい科のせんせいだったとしたら。。。ふだんなら、コース外の話題を自ら持ち出すことなど、ましてや、もしかしたら初対面かもしれない相手に、自分からすることなどありえないのでしたが。。。なんとかのそれ。。。というのでせうか。こころの声がして。。。ふと、タイミングをみて、訊いてみました。最初は遠回しに。そしたら、「一応、ドクターです」との。謙虚なお答え。それでますます、うううん。きっと、もしかたら、たぶん、ひょっとしたら。そんな、直感を、確かめてみる勇気をだして、訊いてみたのでした。果たして、でした。なんと、おなじところに、40年余。

 

術部、患部、方式、症状、などを簡単に説明すると、それなら、間違いなく、僕でせう。とのお答え。そのとき、担当してくれていた、当時は新人だった、看護師(当時はまだ看護婦さんと呼んでいた時代だったかと。。。)さんとは、なぜか、いまもずっと年賀状のやりとりを続けていると、お話しすると。「ああ、知ってる知ってる」とのこと。縁は異なもの、とは、河合隼雄さんと、白洲正子さんとの共著でもありましたが。。。まことに。不思議な形で、訪れること、ふとしたことに、元気をもらえること。。。そんな、軌跡のような、奇跡のような、そんなことが、あるものですね。生きていること。続けていること。重ねていること。そんないろいろの、すぐにはこたえの見つけようのないものものの、ありがたさ、ふしぎさ、いとしさ、

(そういえば、数日前の紙面に、いとしさとは、悲しさ、と、もうひとつなにかあって(せつなさだったかしら)、それと、愛しさ、が、ぜんぶ、含まれている、ひとことでは、とてもいいようのない、ことばなのだという、一節がとても心に残っています。)こうしている、いま、まさに、生きていることと闘っている方への、

ことばではとても、伝えようのない、メッセージを届けたい一心で、書いている、いきてるだけで、どれだけ、ありがたいか、時間があるということの、どれほどの貴重さかを、ことばにならない声にして、なんとか届けたい、少しでも、わずかでも、なにかを忘れられて、少しでも、夢を想える

時間のあることを、願わずにはいられない、そんな心境の中です。

 

またね、の、ひとことが、どれほど、希望に聞こえることでせう。

 

ほんとに、ちょうどいいというのが、どうしてこうもむずかしいのでせうと。少し、かなしく、せつない,気持ちが、先行してしまうことの方が

どうしたって歳と友に、おおくなってしまうのが、自然なはずなのですけれども。それでも、です。なんでもできる(気がしてるだけ)は、(結局)なんにもできない、そう、なんど自分自身を責めたことでせう。本屋の、立ち読みほど、どうして、心に残る、一節に出会えてしまうのでせう。

藤田桃江さんの、一節に、救われることばに。ともすると、おれそうになる、こころを励ましてもらったことでせう。本がたくさんあって、そこには、ものすごくたくさんの苦悩の末に生まれてきたはずの、たくさんのことばが、いっぱい隠れていて、であったひとにだけ、しかも、タイミング良く、心に響くときに、目に出来たひとにだけ、こころに深く刻まれていって。。。そんな空間にいられるだけで。ホッとしてしまうのです。

といっても、まず、ほんとうに、こころがオフになってしまうと、その癒やしの空間に足を向ける元気さえ見失ってしまいます。気持ちって、ほんとうに、自分のちからだけでは、どうにもできない、なにかがあって、流れがあって、、見えない、誰かの、支えがあって。やっと、なんとか。。。

そんな、あがったり、そうでなかったりの連続なのかもしれないとも思います。ひとによって、その波の自覚や、揺れ幅の大小が違うだけで。。。そう、言ったら、なにをえらそうに。。と、叱られてしまうでせうか。。。ゆうべは、39.2度でした。

 

中学3年生の7月に見た、39.6度以来の水銀計のメモリでした。ひと晩で、37度に戻ってはいましたが。。。熱は、からだの、自然浄化作用?、自然、異物撃退作用?とも、訊いたような気もしますが。。。高熱の前日には、前代未聞、大学以来の、完全寝坊をしてしまうし。少し、前から、疲れやすいなとはおもっていたので、ウイルスくんか、バクテリアさん、か、どちらかはまだわかりませぬが、からだのなかで、格闘が

あったのでせうね。4000年の統計学を持ち出すと、いつも、考えすぎと、叱られますが、それでも、わたしの星は、やっぱり、清明の前に、

外に飛び出すのは、無理が重なってしまったのでせうね。それでも、小さな難はおおきな光の、貯金とも歌われてもいますし。でも、そしたら、小さくない難は、どうしたらって。ちいさくてもいいから、ささやかでもいいから、光、か、幸が、見えますようにって、祈らずにはいられませず。

そして、これを、読める機会がありますようにと、ただただ、願うばかりで。。。