ひとは、言われたいことばを望んでいます そのときそのときで…
いまは、静かに、休みの日はひたすら眠っていたいと思っていることが多いです…
先のことや、いまできないことをできない自分をセメナイ考えないのができていますが、無になれるから眠りの時間が貴重でたくさんもとめてしまうのかもしれないと思います…

もともとたくさん寝てたくさん寝言を言って、なんとか健康をもらえてきた時間が多かったように思えます…


このままいったら…いつはかは…などと考え始めた途端…こころは耐えらるなくなって、くるしいばかりの時間はたくさんありました

こころからでたことばと、とりあえずその場を無難に…と考えて配置の調整されたものは…伝わりかたがやっぱり全く違うのかもと思います…

もとより、ことばというものの捉え方、受け入れ方も環境や、人柄で全く違うし、声は聞こえてもことばはひとつも話してないと感じることも…あるやも…


ことばの通じないひと、通じるひと…


あのときしんどけば良かったというのと、生きてて良かったというのが、交互にくるね…

そのひとことはとてもしみこんできました

苦悩は永遠に続くのでしょうね…

ただ、なんでもいい、待っていられる、ただ見守るだかでもそうでなくても、なにか支えになるような…希望が…あるいは希望の一端でも、いつか持てたらもしかしたら、生きてて良かったというときもあるのかもしれないですね…


ひたすら、なにかを考え続ける性分に生まれてしまったものは…この考え続ける性分からは逃れられないし、あとは、ひたすらいまと、うまくやるしか…ないのでしょうね…


残り時間の少ないひとがうらやましいと言ったら、とても叱られそうですが…百年くらい前、相当ちからをもった先祖がいたということは…きっとひとに喜ばれることばかりをしてきたというのでもないでしょう…ね


生きてる意味など考えても仕方ありませんが、そんなことをひたすら考えてしまうひともいるということです…

がんばりたくないときは、がんばらなくていい…というのは…とてもこころを救うことばですね


冬になるたびおなじことを繰返していますが…こころのなかでは、ひょっとしたらそれを望んでそうしているようにも思えます…


苦悩をたくさん経てきたひと、それでも楽しく繕ったのではない、つらい話でも聴くゆとりのある方はどこかにいるのでしょうかね…

どこにいても居場所はないと、感じてしまい…、ひとと同じようにはどうしてもできないことを、自分で責めてはいけない…と少しわかってから…少し楽になれたようには思います


なにをしたいのか~わからない…自由というのは全く自由ではない…というのは、なかなか堪えるものですねぇ…いまは無理して元気になどなりたくないよ~というのが正直な気持ちに思えます…


でもこころのどこかでは~なにかを望んでもいるのでしょうか…
それもやっぱり…苦悩をいっぱいしてきたひとのおもうなにか…


目に見えるものではないなにか…ただのことばあそびだとまた叱られてしまいそうですが…


書いてるときだけ…苦悩から少しだけ逃れられている気がします…
富士額は家を興す、再興するという言い伝えがあるようですが…とうやら皆には当てはまらないみたいです…

もう少し眠ります…おやすみなさい