残寒お見舞い申し上げます。というのを。あんまり目にしないのはどうしてでしょうかね。ゴロがピンとしないから?でしょうかねぇ。ともあれ。寒さにもいろいろあって。凛とした乾いた空気が、清貧の潔さのようでもあるようで、どこかしら爽やかで静として清らかであるような、そんな感じに思えることが、とてもありがたくもあるような。そうおもえるときもあったりします。それもこれも、果てしなく続くように思える時間が、じつはあっという間の束の間、刹那だからなのでしょうかね。ともあれ。時間というものの偉大さやありがたさを深く実感するのは、かなしいけれど、時間の有限さにうちのめされそうなときが突然やってきたりするときなのかもしれませんね。
 
時間は、ときどき、永遠に続くように思えるもので。いまのなかでいまをいるようにしていると、いまが永遠にある ただそれだけ。なんて、ほんとうにそのようにおもってしまうところがあるのですけれども。100歳になったときにはて、どのような風に世界がみえるのでしょうかと思う反面。こどものころに。いまの歳になるなんて、遠い宇宙のはてにいくよりも遥かかなたのことのようにおもえて。考えることさえやめていたのをおもと。はてさて。時間についておもっても仕方ないのかもと思えてみたり。いえしかし。そうではないのだと。いまがあるからだからこそとおもえてみたり。はてさて。白髪を抜き始めると半日たっても同じ光景が鏡の中にひろがっていたりして。はてさて。どうしたものでしょうねぇと。おもったりもしています。
 
念願の油絵というものをはじめて描きました。ついこのまえ。なかなかタイミングが合わなくてひと月以上も待たされたような。待たせていたような。そんなところで。それでもやっぱりちょっぴりちこくしていったのですけれど。手が勝手に動いてました。パレットと絵具と筆先と、そしてキャンバスと。お手本の絵のコピーとを見ながら。手が勝手に動くままに、色を重ねて。残った絵具をそのまま全部使い切ろうと、自然にできる組み合わせで、それとなくそこここに色の違いを作りつつ。そんなこんなで一時間もするかしないで。小さなそのちょうどいい大きさのキャンバスはほとんどどれかの色でうめられていて...。おやおや。ああいい色だなぁ。これ誰描いたのだろう?手で、自分の手で、何かをつくる。手を動かす。無心になる。時間が止まる。そのことをかけがえがないとき。そういうののひとつなのでしょうかね。